みなさんは、畳の大きさが京都と東京で違うことをご存知ですか?
畳は京間サイズと江戸間サイズで大きさが違うんです。なお畳の大きさが違うということは、東京と京都で部屋の大きさが違うことにもなります。(誤解がないように申し上げますが、京都にも江戸間の部屋はありますし、東京にも京間の部屋はあります。あくまで基準的なサイズということです。)
そこで今回は、畳のサイズはメートル法じゃないのか、なぜ京都と東京で畳の大きさが違うのかを紹介します。
・なぜ東京と京都で畳の大きさが違うのか
・畳の寸法について
畳の寸法の種類
京間は主に関西地方(京都)を中心に、中京間は主に中部地方を中心に、江戸間は関東地方を中心に分布されています。
続いて、畳の大きさについて解説していきたいと思います。
京間 | 中京間 | 江戸間 | |
丈 | 六尺三寸(約191㎝) | 六尺(約182㎝) | 五尺八寸(約175㎝) |
幅 | 三尺一寸五分(約95.5㎝) | 三尺(約91㎝) | 二尺九寸(約88㎝) |
畳の大きさはメートル法じゃない?
皆さんも何かの大きさを測る時なんかはセンチメートルで表したりしますよね。学校の授業でも、ほとんどの問題はメートル法を利用して勉強したと思います。
しかし、畳の寸法計算はメートル法ではなく※尺貫法を利用して計算しています。※尺貫法とは中国を起源として東アジアで広く使われた長さ・面積の単位のこと。
尺貫法は5〜10世紀?(諸説あってわからない)ぐらいに日本に渡ってきました。
とはいえ、なぜ?尺貫法がこんなにも馴染みがないかというと、1958年12月31日限り(土地と建物の計量については1966年3月31日限り)で取引や証明に尺貫法を用いることは禁止されたからです。
ところが、尺貫法に慣れていた為上手くはいかず、大工職人をはじめ尺貫法を用いて計算していた職人の人達が混乱し、社会問題となりました。
それを受けて立ち上がったのが「上を向いて歩こう」などの作詞を手掛けた永六輔氏です。永六輔氏は尺貫法復権運動を巻き起こし、柔軟性を求められた中央政府もこれに観念し「日本の伝統や文化の中で著しく不便を生じさせている場合はその度合いを最小限に留めるよう制度の柔軟な運用を行うこと」となりました。
そのような背景があり尺貫法は日本の伝統産業に携わる人ぐらいしか認知されない単位になってしまったのでした。
尺貫法を用いての大きさは?
それでは尺貫法の大きさについて解説していきます。
正式な数値は一分が約3.03ミリメートルぐらい。一寸で30.3ミリメートルぐらいになります。
ここで計算問題です!
つまり江戸間サイズの畳一枚の長さは、だいたい175センチメートルくらいとなります。
同じような条件で中京間と京間も計算してみると中京間がだいたい182センチメートルくらい、京間がだいたい191センチメートルくらいになります。
これらは我々の用語で畳の「丈」と呼ばれる長さで、ちなみに巾(はば)の大きさは丈の長さの半分になります。
京間、中京間、江戸間の基準サイズの他に団地間サイズ(五尺五寸)もありますが、基本的な基準サイズはこの三種類に分類されています。
ここまで畳のサイズについて解説してきましたが、続いては何故地域によって大きさが違うのかについて解説していきます。
なぜ京都と東京で畳の大きさが違うの?
なんで東京と京都で畳の基準が違うの?
との質問をいただくのですが、諸説あり過ぎて、どれが正しいのか本当のところよくわかりません。
今回はその中でも有力な説を紹介します。
畳が一般家庭に普及したのは安土桃山時代。千利休がお茶室に畳を敷いたことがきっかけと言われています。
その後、豊臣秀吉が天下を取り、大阪に大阪城となる大きな城と町を築きます。職人達は大阪の町や京の町でせっせと仕事をしていたわけです。
しかし豊臣秀吉が死んだことをチャンスとみた徳川家康はアレコレ因縁をつけて戦を仕掛け、豊臣家を滅ぼします。その後、徳川家康は川がたくさんある水の都で物流が発展しやすい環境が整っているという理由から江戸に幕府を開きます。
しかしそこで問題が発生します。
江戸城を築き、城下町を作っていかなければいけない時に不足したのが職人達です。もちろん畳職人も例外ではありませんでした。
そうなったら京から優秀な職人を呼ぶしかない。そこで関西で名を馳せた畳の名工の一族イアナミ家を江戸に連れてきます。
いくら優秀な畳職人といえど、急激なインフラ整備だった為に職人達は急かされ追い詰められました。そこで考えたのが家を小さくすること、つまり畳のサイズ変更と畳の施工手順の簡略化です。
畳のサイズを京間から江戸間にサイズ変更し、平刺し(畳の施工手順の1つ)を裏に向けて締めるのではなく、表に向け縫いながら締めていく方法に変えます。
そんな畳職人達(イアナミ家)の努力もあり無事に江戸の町は形作られていきます。
これは余談ですが、イアナミ家は頑張った功績が国から認められ、大針家(畳は施工の際に大きな針を使うことが由来)の名前をいただくことになります。良かったですね。
その後、江戸の町は発展していくのですが、同時に発展していくのが京と繋ぐ道である東海道です。江戸と京の町を繋ぐ東海道には、旅籠(旅人が休む宿)ができ、畳の仕事も急速に増えていきました。
ただそうなってくると畳のサイズをどうしようかと悩むことになります。江戸間にすべきか?京間にすべきか?迷った挙句にその中間である中京間を作ったと言われています。こうして江戸間、中京間、京間の三種類の基準サイズができたと言われていますが・・・・・。
正直、真実かどうかはわかりません。あくまで「ホンマでっか!?」としてお聞き下さい。
畳の寸法について
ここまで畳の基準サイズについて解説してきましたが、畳の基準サイズピッタシの部屋なんて京都迎賓館とかぐらいで普通の一般家庭ではまずありえません。
では、普通の一般家庭は?というと畳と接する寄せが曲がっていたり、部屋自体が歪んでいるのがゴクゴク普通のことです。
さらに最近は部屋が小さかったり大きかったり、部屋が台形だったり、L字型だったり、三角形だったりと従来の形に捕われない部屋が増えたように感じます。
そうなってくると畳の形自体も従来の長方形だけでなく、正方形や三角形、台形などの形にも変わって提供されることになります。
つまり、畳の寸法は完全オーダーメイドで一枚一枚サイズが違う、場合によっては形が違う商品なのです。
畳の寸法をとるのは簡単?
「畳の寸法ってどうやってるの?」たまに大工さんから聞かれることですが、寸法とること自体は簡単な作業です。和室の四方を測り、対角線(シミズ)の長さを測り、寄せのクセを測ったら終了です。
長さを測ること自体は、キチンと教えたら子供でも出来ることだと思います。
難しいのはその後の割付けという作業です。割付けとは畳を敷き込んだ時に均等に美しく見せる為の振り分け方法を言います。
ただ均等に振り分けるだけでなく柱の中心や襖に畳を合わせたりととても大切な作業になります。
また寺社の場合、紋縁を使用する為、紋と紋同士を合わせる必要があり高度な技術が求められます。
畳の寸法をとる方法は大きく分けて3つ。
割本法
十字法
一帖本法
先ほど紹介した四方を測って対角測ってクセ測っての方法は割本法になります。畳屋さんの一般的な寸法のとり方は十字法かと思います。
十字法はもっと簡単で、部屋の中心地からレーザーと呼ばれる機械を使い90度を出しそこからサシ(畳の長さを測る道具)をあてて部屋の大きさを測っていく方法になります。
一帖本法は特殊な形の畳(台形・三角形・クセがすごい畳)などに使われる一枚とりの方法です。これ以外にも寸法のとり方はありますが、基本的にはこの3つで寸法をとっています。
お茶室における高度な寸法学
最後にお茶室における寸法の話をしたいと思います。実は畳の寸法学というのは数十年前まで一子相伝の知識でした。特にお茶室の寸法学は門外不出とされ世間一般的には出回らないように注意されていました。
それを解禁しお茶室の寸法学を広めてくれたのが京都の池内先生です。
池内先生によれば「刺し技術は名人級でも数学的根拠のない寸法学を使って畳製作をしているのは笑止」だそうで寸法学の書を作り、京都の畳職人&丁稚に広めてくださりました。
その中でも大変重要な寸法学が掛けシミズ法です。
詳しく説明するときっと誰かに怒られてしまうのでさわりだけ紹介します。まず前提としてお茶室の畳は畳の目が命です。畳の目がおかしかったら茶道の作法に支障が出てしまいます。
それは上前の目だけでなく下前の目も気を配ることです。
例えば、床の間と接している下前の畳の目が一目ぐらい斜めになっていたらどうでしょう。美しくありませんよね。お茶室は「和」の空間でありながら「美」の空間です。
四季にあったお花を活け、亭主が想いを込めた掛け軸を飾り、亭主の無駄のない美しい所作。全てが洗練された空間でなくてはいけないのです。
それは当然のことで畳も含まれます。
畳の目は揃っているのが美しい。その価値観こそ掛けシミズ法が出来た理由であると推測します。つまり掛けシミズ法とは、畳本体の対角を歪ませて幅の長さを大体均一にする計算方法になります。
大工さんなどにはその都度説明させて頂いていますが、一般の方で興味がある方は京都畳組合事務所に直接聞いて下さい。
▼京都畳組合事務所や畳の学校についてはこちら:畳の学校って知ってる?|京都伏見区にある京都畳技術専門学院を紹介
以上です。
最後に
いかがだったでしょう。
畳の寸法について少しでも理解が深まりましたか?
畳の寸法の歴史を紐解いていくとその時代背景や環境で畳のスタイルが大きく変わってきたのがよくわかります。それから数百年が経ち現在に至っても、畳のスタイルは変化し続けています。
「伝統は革新の連続である」
誰の言葉か忘れましたがとても良い言葉だな思います。
それは「進化しないものはいつか滅びる」の言葉と精通するところがあり、滅びなかった伝統はスタイルを革新し続けてきた証なのでしょう。
私が思うにそれは一人の天才が成し遂げたことではなく、多くの人を巻き込み共に創り上げた結果であると。
畳業界は衰退産業だ!!!
よく言われますが、だからこそ畳業界または建築業界、日本、世界、多くの人を巻き込んで革新していく必要があるのでしょう。
読んでいただいてありがとうございました。