休日何してる?
最近、休みの日は何しているのかすごく聞かれるけど、休日のことを特に意識したことがなかった。
京都で仕事をしていた頃は、日曜日が休みだったから、内装の勉強に行ったり、宮津に刺身を食べに行ったり、滋賀県にドライブに行ったり、奈良県の友達のところに遊びに行ったり、大阪に遊びに行ったりして、それなりに楽しんで休みを満喫していた。
ところが、東京に帰って来てから仕事の事ばかりで、休みの日はほとんどない。
限られた休みの日は、人に会いに行ったり、ブログ書いたり、ブログネタを探しに行くなど、仕事との関連性が高い休日になっている。地元の友達にも「全然遊ばないの?」と言われたが、『遊ぶ』という概念が何処かに消えてしまったようだ。
この前も知り合いの女性とランチをした。私は独身で彼女がいないので、お付き合いを考えて彼女に会いに行っているわけだが、ずっと仕事の話ばかりしてしまった。
無意識に相手の方に畳を売り込んでしまい、ふと冷静になった時、自己嫌悪に陥った。そして、女性として見れない私は、彼女と恋愛関係になれずに「さようなら」になってしまった。どうやら『遊ぶ』と一緒に『恋愛』も消えたらしい。
私はやりたいことがあって起業した。やりたいことをやっていることは大変満足しているのだが、本当にこのままでいいのかと疑問が残ることは否めない。
そもそもホモ・サピエンスの前、ホモ・エレクトスの時は、毎日労働して丸々1日の休日なんかはなかったように思える。きっとマンモス捕まえに行ったり、魚捕らえに行ったりして、後の時間は食べ物を消化する為に寝ていただろう。
休日なるものができたのは、ホモ・エレクトスからホモ・サピエンスに進化した後、旧約聖書が始まりじゃないかな?知らんけど。
とりあえず私が言いたいのは、休日が無くてもいいのはホモ・エレクトスで、ホモ・サピエンスは休日が無ければいけない。ということだ。
私がホモ・サピエンスとして生きていくのであれば、休日と呼べる1日を作らねばならない。その為には、まず最初の一歩として、休み時間を作ることにした。
休み時間を作る
いきなり休日を作るのは難しい。生活リズムが狂うし、電話掛かってきたら見積もりに出かけないといけない。おまけに最近は、街の部長をしている。なかなか休日を確保することは困難を極める。
そこで、一週間のうち数時間だけでも心安らぐことに時間を使おうと決めた。
まずは音楽。
私は、音楽を聴きに行くのが大好きで、京都に住んでいた頃は毎週クラブに通っていた。
EDMが主で、ヒップホップやR&B、サイケデリックがごちゃ混ぜのクラブミュージックが打ち鳴らされると興奮して血管はちきれそうになった。
東京に帰ってきてからは、忙しさとお金がない日が続き、クラブに行かなくなった。すると、不思議なことにあの頃胸熱くなった曲が、今では興奮しないまでになってしまった。時間の流れとは残酷なものだと悲しくなる。
代わりにクラシック音楽に出会った。クラシック音楽は闘争や絶望、希望などの物語を私に魅せてくれた。新しい世界の扉が開かれたのだ。
しかもクラシック音楽の演奏会は、クラブと全く異なるが、興奮度合いはよく似ている。血管ははち切れそうにならないが、秩序あるメロディが静かなる興奮を呼び覚ました。
クラブから出た後の耳がジンジンするあの感じが再び舞い戻るかのように、演奏会後は空想的音楽が脳内を駆け巡る。それが私には幸せだった。今クラシック音楽を聴くことは、私にとってかけがえのない休息の時間であり、今後の人生を共に歩んでいく友達だと思う。
次に自然の中と美術館。
私の人生論の中で、何か困った時は「自然の中か美術館に行け!」と語っている。
人間が人間として豊かに生活しているのは、全て自然の恵みのおかげ。自然は何もない、何もできない私たちを育ててくれたのだ。
もし、自然が無ければ、人間なんてとっくのとうに絶滅していたに違いない。
だから困って助けて欲しいと思ったら、人間に頼るより自然に頼った方が遥かに頼りになる。
彼らは雄大であり、偉大であり、優しい。
美術館も自然と同じくらい助けてくれる。
アートはいつだって個人の尊厳を守る為に戦ってきた。個人の尊厳を傷つけるものは芸術とは呼ばない。と私は思っている。
人間に失望し、世界が暗くなったら、芸術作品達が明るく励ましてくれる。そんな気がする。
ただ、アートは個人の概念を壊すものであるのは間違いない。
固定概念を覆した後、新しいアイデアを私にくれる。つまり、守るだけでなく閃きも授けてくれるのだ。
私にとって美術館はそんな場所だ。
最後は小説。
小説は読むのも書くのも好きだ。
二週間に一度、中央図書館で4冊くらい本を借りて読書する。
ほとんどの場合小説だが、最近は仕事に関係する本も読むようにしている。
ただ、休み時間に仕事の本を読むのは、休んでいるのか疑問になるので、仕事でもなるべく好きなジャンルのものを選ぶようにしている。
小説は現実世界から遠ざかれる唯一のもの。別にリアルが嫌いというわけではないけど、小説の中の方が若干居心地が良いと思っている。
最近は、私小説を書いている。
元々は畳職人に興味を持ってもらう為の一つの方法であった。だが、書いているうちに楽しくなって来たのがキッカケだ。
とはいえ、私はブログも書いている。ブログも畳に興味を持ってもらう為に書いているという点では全く同じ。
「同じならブログでいいじゃん」と言われそうですが、ブログはあくまでブログ。
仕事色が強過ぎて、読者が楽しめないと私は感じた。
しかも、アフィリエイトしておいて「お金じゃないです」は説得力に欠ける。
だから、お金とは無縁の中で自由に描きたかった。その結果、小説投稿サイトに投稿するのが一番良いのではないかという結論に至った。
ちなみに私小説の内容は、京都に住んでいた頃の思い出を少し改変してフィクションとして投稿しているほんわかコメディ小説だ。
もちろん、個人名や場所は一切出していない。
ただ、お世話になった先輩にあだ名をつけて呼んでいるので、バレたら怒られる可能性もある。
そんな時は「フィクションだから」と強く言おうと決めている。
休日は何をしよう
今は休日を作るのが難しい。
ただ、これから休日を作ったら何をしようか考える必要はある。
例えば、京都に行く。
伏見稲荷行ったり、清水寺行ったり、クラブ行ったり・・・。とりあえず遊びまくる。
と言いつつ、京都にはお世話になったお店がたくさんある。お世話になった人がたくさんいる。もちろん社長の所にも行きたい。
全部回ったら、間違いなく遊ぶ時間はない。きっと「疲れた〜」と言いながら帰路につくことになるだろう。
それならいっそ、家でゴロゴロしようか。
休日なのだから家でゴロゴロしても誰も文句はない。
アニメを見ながら、原作ラノベを読むのも良いかもしれない。
それが飽きたら昼間からお酒でも飲んで、MMORPGをやろう。
酔っ払ったらゲーム終了、即とこにつくことになる。
そして休日は終わる。
皆さんはこんな休日どうですか。
私は無理ですね。想像しただけでつまらなそうな休日だと思います。
そこで結論。
休日を作るより、休み時間を増やす方が良い。
1日2時間休み時間があったとして、それを倍にするとか、午前中だけ仕事して午後休みにするとか、夜中だけ仕事をするとか。
1日休日を作るより、充実した休みになるのではないかと感じる。
此れを以て、未来を考えると。
ホモ・エレクトスは休日が不要、ホモ・サピエンスは休日が必要、ホモ・サピエンス進化種(ホモ・サピエンスとホモ・デウスの間の種。情報革命により高度に知能が発達した人間。もしくは人工知能やコンピューターを使って人間の知的レベルを向上させた人間。)は休日が不要になって、休み時間が長時間になるのかもしれない。(1日休みが退屈になる。だから皆んな仕事をしたがる。ただ、知的作業を肩代わりしてくれる存在があるとすれば、長時間労働が必要なくなるわけだから、休み時間が増える。というわけです。)
あくまで、私が勝手に言ってることなので、無視してもらって構いません。
ただ、私は休日いらないかな。と思った。
読んでいただきありがとうございました。