私は小学一年生から野球を始め、高校三年生の夏まで野球を続けた。
髪型はもちろん坊主。ひどい時には「五厘刈り」をしていた時期もある。
※五厘刈りとは2ミリ程度(もしくはそれ以下)の髪の毛の長さを指す。余談、タオルを五厘刈りの頭に被せると、髪の毛に引っかかって取れなくなる。
坊主にしたのは、誰かに言われたわけではない。
自主的に行ったものだ。
とはいえ、大会前は皆が髪の毛を坊主にする為、同調圧力のようなものは感じられた。
チームメイトの中には「坊主にしたくない」という意見も確かにあったが、最終的に反対者も同調圧力に屈し全員が坊主化した。
私が野球をやっていた頃はこれが当たり前だと思っていたし、ルーキーズのような脱坊主派の野球部は野球をやる資格のない連中とさえ思っていた。
髪の毛が長い野球部員は「野球」というスポーツに中途半端に取り組んでいるお遊びゴッコのように感じ、一緒のステージ(試合)に立つこと自体に嫌悪感を覚えた。
こっちは真面目にやっているのに、お遊びの延長で来られたら腹が立つ感情と同じだ。
だから坊主であることで女の子からどう見られようが、チャラついた髪の毛のサッカー部員に茶化されようが、気にも留めなかった。
野球部員が坊主であることは、真面目に野球に取り組んでいる証だったから。
ただ、野球から離れて何年か経ち、考え方にも変化が生まれた。
今回の記事は、そんな変化を綴ったエッセイになる。
坊主にして良かったこと、悪かったこと
脱坊主派野球部に賛成する理由を紹介する前に、坊主にして良かったこと、悪かったことを先に述べたい。
・やる気(モチベーション)が上がる
・髪を洗うのが楽
・チームとしての統率がとれる
・髪の毛を切るのに時間が取られない
髪の毛のことを考えなくても良い
社会人になって野球をやるとよくわかるのだが、髪の毛の存在が邪魔でいらないものと感じることが多々ある。
プレーの最中、前髪が目の中に入ったり、被ったりと迷惑。
帽子被るから髪の毛ペチャンコになるし、額にくっついて気持ち悪い。
坊主にするとそういったどうでも良いことに集中力を取られたりはしない。
やる気(モチベーション)が上がる
やる気を上げる方法は人それぞれ違う。
例えば、買ったばかりのアイテムで仕事をするとモチベーションが上がったり、成果報酬が貰えることが分かるとモチベーションが上がったりする。
坊主にする行為もその一つだ。
心理学者のLauren Appio博士によれば、「外見が著しく変化すると、自分の行動の結果がすぐ目に見えるので、自分のパワーを認識でき、気分が落ち着く」とのこと。
これは女性が男性に振られた後、髪の毛を切る動機と似ているのかもしれない。
髪を洗うのが楽
一度坊主にすると髪の毛を乾かす動作、髪の毛を洗う動作が無駄に感じてしまう。
坊主はめちゃくちゃ楽だからだ。
髪の毛を洗うのもほとんど泡立たない。だからお風呂に入りながら洗えるし、ドライヤーで乾かす必要ない。
効率を考えたら坊主が一番だと思う。
チームとしての統率がとれる
目的を成す時に、チームの統率は重要な課題になる。
必ず文句だけ垂れて、何もしない奴は出てくるし、サボりマンも出没する。
フワフワの高校生をまとめ上げるのは、なかなか難しい。
そこで野球部として意識させることが重要になってくる。
例えば、坊主であれば野球部だと見られる。野球部だと見られれば、野球部としての意識が芽生える。野球部としての意識が芽生えたら、野球部らしい行動をとるようになる。といったことが期待できる。
髪の毛を切るのに時間が取られない
普通に髪の毛を切るとしたら、美容室に電話をし、向かう。少しの待ち時間後、髪を切ってもらって洗ってもらう。一般男性で一時間ぐらいだろう。
では、坊主だとどうか。
バリカン5分、髪の毛を洗うので5分、掃除で5分。合計15分で完了する。
お金もかからないので、経済的にも優しいと言える。
屈辱
周りの高校生は、髪の毛を染めたり、ワックスでカッコよくイジったり青春を謳歌するなか、私たちの青春時代は坊主頭だ。
友達からは「ハゲ」などと揶揄され、頭を触られる。
女の子にモテたくてオシャレをしたいけど、坊主に似合う服などTシャツに短パンくらいなもの。
あまり変にキメすぎると、ヤンキーに間違えられるから抑える。
結局オシャレには絶望的なのだ。
坊主にしたくなくて野球をやめた少年を何人も見てきた。
みんな私よりも才能があって練習熱心だったのにカッコつけたいという気持ちが強くてやめてしまった。
それぐらい青春時代を坊主で過ごすというのは、屈辱なのだ。
脱坊主派野球部に賛成する理由
皆さんは武田信玄率いる武田軍の「赤備え(あかぞなえ)」を知っているだろうか。
赤備え(あかぞなえ)は、戦国時代から江戸時代にかけて行われた軍団編成の一種。構成員が使用する甲冑や旗指物などの武具を、赤や朱を主体とした色彩で整えた編成を指す。戦国時代では赤以外にも黒色・黄色等の色で統一された色備えがあったが、当時の赤色は高級品である辰砂で出されており、戦場でも特に目立つため、赤備えは特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊であることが多く、後世に武勇の誉れの象徴として語り継がれた。 赤備えを最初に率いた武将は甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌とされ、以後赤備えは専ら甲斐武田軍団の代名詞とされる。
赤備えとは、戦乱の世を赤く染め、数々の戦国武士達を恐怖のどん底に陥れた最強の部隊である。
戦国最強と言われた真田幸村も大坂夏の陣では赤備えで部隊を編成し、出陣したと言われている。
ところで、なぜ統一した色で組織する必要があったのか。
一つは敵を畏怖される目的があったと考えられている。
もう一つは、組織として統率を図る目的があったのではと言われている。
皆同じ格好にすることでチームとしての結びつきを強めようという作戦だったのかもしれない。
私がなぜこんな話をしているかというと、坊主にする行為も同じ意図が働いているのではと考えたからだ。
つまり、坊主にすることで敵チームを威圧し、組織としての団結力を強め、試合に勢いをもたせる目的があるということだ。
とはいえ、赤備えすることで戦力が強くなるわけではない。
それと同じで、坊主にすることで強くなるわけではないのだ。
かつて赤備えを率いた部隊は、悉く敗北している。(真田は徳川を後一歩まで追い込んだが、結局は負けた)
彼らは時代の変化に敗北したのだ。
最強の騎馬隊だからと高を括り敵陣に突っ込んだ。が、鉄砲衆が放つ鉛の雨には為す術もなく骸の山と化した。
彼らに必要だったのは赤に揃えることではなく、新時代の技術を用いて犠牲を最小限に抑え、効率的に人を殺す方法だったのだ。
これは坊主も同じ。
坊主にして組織力UP!とか言っていないで、AIやビックデータの技術を用いて、効率的に上達する方法を模索する方が先決だと私は思う。
したがって、脱坊主派に賛成する。
最後に
本当に坊主が野球少年にとって良い髪型なら自主的に坊主にすると思う。
坊主を強制したって弱いチームは弱いし、負けるやつは負ける。
ちなみにウチらのチームみんな坊主だったが甲子園に行けず、都大会で散った。
結局、坊主を強制する意味なんて無いのだ。
読んでいただき有難うございました。