なぜ国産の畳を残さなければならないのか。なぜ国産い草でなければいけないのか。

斜陽産業にある畳業界ですが、もっとも危機的状況にあるのは国産い草を栽培する農家さん達です。農林水産省の作物統計によれば、い草生産農家数が平成17年1170戸あったの対して令和5年には296戸まで減少しています。

このままいけば国産い草が無くなる

そう叫ぶ畳屋も少なくないです。私自身も同じような危機感を持っています。しかし、一般ユーザーの中には「別に中国産い草があるんだからいいじゃん」「和紙表や化学表があるんだから問題ないじゃん」という意見も多いです。

そこで今回はなぜ国産畳を残さなければならないのか、なぜ国産い草でなければならないのかというテーマでブログを書いていきたいと思います。畳業界の方もそうでない方にも読んでもらえたら嬉しいです。

なぜ国産の畳を残さなければならないのか

これはアイデンティティの問題であると私は思います。畳は1200年以上昔から存在する日本の文化的な敷物です。日本で育てられた国産い草を使い、日本で技術を磨いた職人が畳にする。長い歴史の中、紡ぎ繋がれてきた伝統こそ誇りであり、畳が畳である証でもあります。

お客様の中にも中国産い草を使った畳は「本物の畳じゃない」と認識している方も多いですが、これもまさしくアイデンティティから来るものだと思います。

私たちは知らず知らずのうちに歴史に溶け込み、私たちが何者であるのか、なぜ私たちが日本人であるのかを理解している。それは歴史の授業で教わったことではなく、日本の香りと呼ぶべきものです。

だから日本人として、国産の畳を残さなければならない。国産の畳を守らなければならない。そう思うのは当然のことだと思います。

ちょっとわかりにくい文章になってしまいましたが・・・。

言いたいことは、私たちが日本人だから国産の畳を残さなければならない。ということです。

補足:小松左京の小説で日本沈没という作品があります。あの作品のテーマは、日本という国で国土を失った時に、何をもって我々は日本人だと言えるのかを訴えかけた小説です。もし、国産の畳がなくなった時に何をもって畳と言えるのか、これを読んでいる読者の皆様は答えることができますか?この問いに明確な答えはありませんが、問い続けなければならない重要な問題です。特に畳業界にとっては。

なぜ国産い草でなければいけないのか

この答えは単純で、それは国産い草が良いものだからです。

例えば、お寿司屋さんに行ったとします。カウンターに座ってお寿司を注文しますよね。あなたは大将になんて言いますか?

「大将!おすすめを頂戴!」私ならこう言います。大将はきっと「今日は石川県の能登で獲れた脂ののった美味しい寒ブリがあるよ!」と答えてくれるでしょう。

これが当然ですよね。

もし「中国産のホタテが入ったからおすすめ!」なんて言われたら「そんなもんスーパーで買って食うわ!」って文句言いますよ。

これは畳でも同じことだと思います。私たちは商売人である前に職人です。職人は悪いものはお勧めしません。良いものだけをお勧めします。なぜなら良いものは良いと知っているからです。

畳で言えば、繊維が先端まで詰まっていて艶があり美しい、長期的に使うならコスパも良い。それに触れてきたからこそ、職人は知っているのです。

私が京都で修業した時の社長(親方)も言っていました。お客様に絶対に悪いものを勧めるな。自分が欲しいと思うくらい本当に良いものだけをお勧めしなさい。

悪貨は良貨を凌駕するという言葉がありますが、それはビジネスでの話で、職人の世界では良貨に勝るものはないです。国産い草こそ畳業界の良貨なのです。

単純ですが、これが国産い草でなければならない理由です。

ちなみに余談ですが、私は一品目はコハダか鯛の昆布締めのようなサッパリしたものを食べてから、脂ののった魚が良いです。本当に関係ない話でごめんなさい。

最後に

最近チャットGPTでブログ記事書いていたので、自分で書くとめっちゃ下手になった気がします。書きたいことが溢れてきて、上手く文章がまとまらない現象に陥りました。これは一種の弊害ですね。たまにはエッセイをAIに頼らず、自分で書こうと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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