職人の修行はつらかった?
と言うと「大変そう」「つらそう」とネガティブ的な事をよく言われます。
もちろん、大変な事もつらいこともありましたが、職人の修行はそれが全てではありませんでした。
そこで今回は、職人の修行はつらかったのか。丁稚奉公に行った京都での畳職人修行時代について語りたいと思います。
職人の修行を経験してみたい。職人の修行ってどういうものか興味ある!という方の参考になれば嬉しいです。
畳職人修行時代について【丁稚奉公】
私は高校卒業して京都の畳屋さんに修行に行きました。
▼修行に行く事になった経緯はこちら:樋口裕介って誰?畳職人の自己紹介プロフィール【Yuusuke Higuti】
世に言う丁稚奉公ですね。
丁稚(でっち)とは、商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。職人のもとでは徒弟、弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった。明治時代以後はいわゆる近代的な商業使用人となっていく。 現代でも一般社員(ヒラ社員)が自嘲的に「まだ丁稚です」と比喩的に使う事もある。上方ことばの丁稚に対して江戸言葉では「小僧」である。
会社に住み込みで働き、夜は学校に通う(畳の学校)。
▼畳の学校についてはこちら:畳の学校って知ってる?|京都伏見区にある京都畳技術専門学院を紹介
そんな生活を四年間過ごし、残りの二年間は一応一人前の職人として修行しました。
と、このような話をすると「大変だったね」とよく言われるのですが、正直なところを言えば・・・・。う〜ん。と言ったところです。
職人の修行はつらかった?
職人の修行と言えば、下っ端の仕事が大変そうだ!とイメージされる方が多いと思います。
畳職人においての下っ端の仕事は、畳用の包丁を研ぐこと、縫い糸をほぐして油を付けること、機械の糸を巻いたり、先輩のコーヒーを作ったり、ゴミを倉庫に持って行ったり、倉庫を掃除して綺麗にしたり、畳を処分しやすいように解体したり、食器を片付けたり、トイレ掃除をしたり、ゴミ袋を作ったり、藁を削ぐったり、清掃用紙に記入することでした。
上記+仕事+学校+練習ですから忙しかったのは間違いありません。
とは言え、これらの事って一切責任が無い仕事ですよね。
仮に忘れてた!失敗した!となっても迷惑を被るのは兄弟子と自分なので「ごめんなさい」の一言で済む話です。
つまり、責任のない忙しさはそれほど大変でつらいものではないと私は思うのです。
職人の修行でつらかったこと
これは職人の修行に関わらず、全ての仕事に言えることかもしれませんが、まだ中途半端な段階でそれなりの責任を負わされ大きな仕事を任された時の心情は、大変につらいものがありました。
いわゆるプレッシャーってヤツですね。
明日が来るのが怖い。この場から逃げたい。こんな気持ちになった事もあります。
ただ、これを乗り越えた時、経験という返礼をもって返ってくるわけですから、大変な現場を経験すればするほど、心が強くなっていくわけですよね。
「あの現場に比べてたら・・・。楽だ!」
今、独立して改めて思います。
あの時、経験しておいて良かった。と。
職人の修行で楽しかったこと
職人の修行では楽しかった事もあります。
その一つが夜遊びの朝帰りです。
私は住み込みで働いていたのですが、社長や女将さんと同じ家で暮らしており、夜遊びするのも朝帰りするのも余り気分の良いものではありませんでした。
とはいえ、18歳そこらの遊びたい年頃ですから、我慢できるわけがありません。
夜な夜な泥棒みたいに外出し、クラブで遊びまくり、早朝起こさないように帰宅するのが、堪らなく好きでした。(迷惑かけてたかもしれませんね)
あと、丁稚だと周囲の職人さんから可愛がってもらえる事がよくありました。
京都の建築業界って地方から丁稚奉公で来た職人さんが多いのですが、同じ丁稚奉公の職人さんを見ると可愛がりたくなる事が良くあるみたいです。
ちなみに私も丁稚の子に会うとどこか懐かしくて飲みに連れて行ってあげたくなります。
こういう繋がりも修行して良かった事かもしれません。
以上、職人の修行はつらかった?京都畳職人修行時代について【丁稚奉公】でした。
最後に
いかがでした。
職人の修行についてわかりましたか。
修行についてはこちらの記事でも書きました。もし宜しければ参考にしてください。
▼職人の修行についてはこちら:【丁稚奉公】弟子の一日とは?|畳職人の修行を解説【守破離】
もうこれからは職人の修行もいらないのではないか。世間ではこのようにも言われています。
実のところ、私もちょっと賛成です。
修行してわかる事も沢山ありますが、独立してわかる事の方が圧倒的に多い。
だから職人の修行終了がゴールという考えは捨てた方がいいです。
読んでいただきありがとうございました。