
まずは簡単な自己紹介をさせてください!
2011年4月より京都市西京区にある沢辺畳店に修行?丁稚奉公?に行く。
2012年から西脇畳敷物店が主催する未来塾に通学し、内装を学ぶ。2014年からは未来塾の主任として活動。
パルスプラザで行われた京都畳競技会において2011年度・2012年度・2013年度・2014年度で京都府知事賞優勝をおさめる。
2014年12月に京都畳技術専門学院を卒業。
2016年9月に畳製作一級技能士の資格を取得。
2017年4月に6年間お世話になった沢辺畳店を卒業。東京に戻り、フリーランスの職人として畳と内装の仕事をしながら当Webサイト「RushArtisan(ラッシュアーチザン)」を開設。
2018年3月より屋号をRushArtisan(ラッシュアーチザン)として「畳の価値観を変える」を目的として本格的に畳事業を開始。今に至る。
YouTube動画
目次
畳職人になった理由
私は東京に生まれ、東京で育った至ってどこにでもいる普通の子供でした。
親に迷惑をかけた思い出もないし、先生に怒られた記憶もない。
普通過ぎてつまらない人間だったかもしれません。
高校生時代の話
そんな私ですが小一から高校生まで野球に熱中した青春時代を過ごしました。(途中パソコン部に入ったり、遊び狂ったり、病んだり、フラフラしてた時期はあるけど)
高校球児だったなんて言うと「素敵な青春!」と思われるかもしれませんが、高三の春まで大会はおろか練習試合にも出られない屈辱的青春でした。
私の高校では週に一度遠征試合に行くのですが、チームメイトからは遠征試合ではなく遠足試合だと揶揄されバカにされる始末。
私の人生の転機は大阪遠征でした。
初めて出してもらった試合。たった一回与えていただいたチャンスをものにしたら、次から試合に出してもらえるようになったのです。
夏の最後の大会までチャンスを逃さずに決め続けた私は、最初で最後の背番号「4」番をいただくことが出来ました。
大会では負けて甲子園は行けませんでしたが、長い野球生活を通して生きていくうえで大事なことを学びました。
チャンスはいつ来るかわからない。でもいつか必ず来る。それはたった一回だけのチャンス。それをモノにできるかどうかは練習が答えを出してくれる。
現在でも諦めそうになると勝手にこの言葉が出てきて励ましてくれます。
高校生時代、ほとんど勉強はしませんでした。
学校という学習スタイルが性に合わず、閉じ込められてする勉強が大嫌いで、気持ち悪くて、居心地が悪かった。
「そんなことではダメな人間になる。たくさん勉強して、良い大学に入って、公務員になりなさい」
祖母や公務員の親は、勉強が大事だと説いたが、私を納得させるには至らなかった。
ただ、子供の頃から本は大好きでラノベやファンタジー系の小説を好んで読んでいた。
不快な人生論を聞くより、ラノベが見せてくれる仮想世界の方がよっぽど幸せであるように当時は思えた。
これが世に言う現実逃避ってやつです。
現実社会って面白い!と教えてくれたのは高校生の頃に読んだ真山仁先生の「ハゲタカ」でした。
お金、人、会社に抱いていたイメージを根底から覆し、私の価値観を大きく変えた。
鷲津政彦のような男になる!と息巻き、ビジネスの世界に飛び込みたくてしょうがなかった青瓢箪の高校時代でした。
そんな私が高校卒業後に京都市西京区にある沢辺畳店に修行しに行きます。
私の祖父は10代で畳屋を起業し、車も機械もない時代に自らの腕(技術)だけで会社を大きくしたカッコいい男でした。
ちなみにカッコいいとは経歴のことではありません。
祖父の人柄というか職人気質で気が強く、礼儀や筋的なことに厳しい、そして何より病気になった自分の体に鞭を打ちながら畳を作り続けた職人としての姿勢です。
そんな祖父に憧れて畳職人を志ざすことになります。
とはいえ、畳職人ってどうやったらなれるのか。全然わかりませんでした。
▼畳職人についてはこちら:畳職人になるにはどうすればいいの?|一級畳技能士になるまでの過程を紹介
とりあえず近くの畳屋さんに電話してアポとって会いに行って「どうやったらなれますか」と聞いて回る。
親切な近所の畳屋さんは「知らない」と優しく教えてくれる。
そこで、東京以外で探すことにしました。(高校の先生にも本当にお世話になった)
畳職人になるには畳の学校に通うのが一番ベストな選択だと判断した私は、茨城県・埼玉県にある畳の学校をチェックしてみることにした。
▼畳の学校についてはこちら:畳の学校って知ってる?|京都伏見区にある京都畳技術専門学院を紹介
茨城県の学校も埼玉県の学校も決して悪い学校ではないのだが、学校っぽい施設なのが嫌なのと刺激的じゃないと感じてしまった。
その時、目に入ったのが京都畳技術専門学院の文字。
せっかく畳職人になるんだったら京都だ!って思い、京都の畳組合事務所に電話し、沢辺畳店を紹介してもらい畳職人の第一歩を踏み始めるわけです。
畳職人をやめてもよかった?
祖父に憧れて始めた畳職人の修行ですが、畳に関しては何もわからず完全素人でした。
当時の気持ち的には畳職人がつまらなかったら辞めて違うことしよう!ぐらいの軽い気持ちだったと思います。
モノづくりの楽しさは言葉でうまく言い表せませんが、誠意を込めて作ると結果が必ず返ってくるところだと思います。
一生懸命作ると全体的な完成度が高くなるし、それに応じてお客様は喜んでくれる。喜んでいただけると自分も嬉しい。
自己満足だったはずの技術が報われる。そんな気持ちです。
それともう1つ、ものづくりには必ず思想が含まれている点です。
思想とはものづくりに込める想いであるのと同時に、先人たちの和の空間デザイン(和室だけではなく、お茶室なども含む)への想いです。
畳の仕事で和の空間にお邪魔する度に、作り手たちの色々な想いを感じ、私自身仕事として携われることに誇りを感じました。
また、一連の出来事でわかったことがあります。
それは情熱は前にあるのもではなく後からついてくるものということです。
面白くなかったら畳職人をやめてもいいと軽い気持ちで始めたことが、始めてみて面白い仕事だからもっと上手になりたい!お客様に喜んで欲しい!と情熱が湧いてきた。
もしかしたら頭の悪い私がアレコレ考えるよりも、やってみることで理解するほうが全然効率がいいのかもしれません。
何はともあれ10代で楽しいと思える仕事に巡り会えたのはとても幸運なことで、これから一生懸命自分の腕を磨いて頑張ろうと気合が入りました。
京都での経験
京都での経験は大きく分けて2つあります。
1つは畳の技術的なこと。
畳は敷き込んだ後、施工した箇所を見ることはできません。手抜きな作業をしようと思えばいくらでもできるわけです。
最近では畳にタッカーを打ち込み、畳表を止める施工をする業者があると聞きます。
日本は雨量も多く、山に囲まれている為シケやすい気候の国です。
湿気の多い場所に長年敷き込んでいたらタッカーの針は錆びて取れてきてしまいます。
短期的な畳交換をする物件であれば、そのような施工も良しとしますが、長くお客様に使ってもらう為には、糸で締め上げる他ないのです。(現在の技術では。)
つまり畳の仕事をするうえで大切なことは、お客様に長く使ってもらう為にどのような施工をするべきか、目に見えない場所にいかに技術を使うべきか、ということです。
これらのことは私がものづくりをする上で基盤となる概念になりました。
もう1つは遊ぶ大切さです。
私たちは何の為に生きるのか。
もし、効率の良い生き方(効率が良い生き方とは、無駄の無い生き方という意味)をしようと思ったら今すぐ死ぬのが一番効率が良い生き方だと思います。
この発言を支持する自殺志願者は一定多数いるだろうが、私が望む生き方では無い。
かといって無駄にダラダラ過ごすのも望まない。
では、何をしたら有意義だと思える生き方なのか。
その答えは”遊び”であると私は考えます。
遊びとは飲みに行ったり、クラブに行ったり、デートしたり、美術館に行ったり、ライブに行ったり、焚き火をしたり、読書したり、アニメを見たり、社寺巡りをしたり、旅行に行ったりなど時間を忘れて楽しむことです。
遊びの中にある新しい発見や喜び、癒しは、生きる希望と仕事を頑張る上でのエネルギーになります。
私にとって京都は「遊びの街」で有り、京都で出会った人たちは「遊びの師匠」です。
京都畳競技会
京都では年に一回京都パルスプラザにて京都畳競技会が行われます。
京都畳競技会とは、若手の職人(学院生)が集い、決められた施工手順、制限時間、寸法、完成度を競い合うものです。
あくまで個人競技で有り個々の能力を判断し、個々の優劣を決めると言っていますが、実態はお店の威信を懸けた戦いになっています。
要するに京都畳競技会で優勝することは、修業先である沢辺畳店の技術レベルの高さの証明になるということです。
私たち弟子?丁稚?は日頃の恩返しをする機会として京都畳競技会で優勝することが求められています。
畳製作の練習は毎晩仕事が終わってから。
私は次の日もあるので22時には片付けて上がっていましたが、後輩の中には夜中まで練習してた子までいました。
長く練習すれば上手くなる!みたいな弱小野球部的な思考は、中学校の時でおさらばしていたので、おそらく短時間での効率の良い練習というのは出来ていたのかなと思います。
気になる競技会の結果は・・・・
2011年度・2012年度・2013年度・2014年度と四年連続で京都府知事賞優勝を飾ることが出来ました。(とはいえ、2014年以外はあまり満足のいく完成度ではなかったんですがね。)
競技会の難しさ、厄介さは厳しい時間の中での完成度と寸分の狂いない寸法です。
制限時間が厳しいので急ぐと針足が荒くなってしまうし、寸法にも若干の狂いが出てきてしまいます。
ただ、年々参加する毎に自分の癖を熟知してくるので、それに応じた対策が機能したのかなと思います。
2014年に至っては四年間もやっているだけあって、焦りがほとんどなく慎重に出来たことが功を奏しました。
何はともあれ優勝することで少なからず恩返しが出来てよかったとホッとしています。
人生にとっての意味とは?
ここで、少し話が変わります。
いきなりですが、皆さんにとって人生の意味とは何ですか。
私の小学校六年間を思い出すと遊びと野球ばかりの日々で、小学校で過ごした6年間は人生にとって意味があったか?と聞かれたら正直よくわかりません。
同じように中学&高校で六年間を思い出すと野球と遊びと少しの勉強の日々で、こちらも小学校と同様に人生にとって意味があったかは正直よくわかりません。
ですが、高校卒業してからの京都で過ごした六年間は人生にとって意味があったと胸を張って言えます。
六年間を通して学んだ、人生にとっての意味とは?
人生にとっての意味って形のあるものじゃないから伝え難い。それは畳に関する技術的なことでも知識的なことでもない。
もっと本質的なことで自分の存在価値って何だろう?って考えるキッカケがあったことです。尊敬する小松美羽先生の言葉を借りれば自分の果たす役割とは何か?です。
もし考えたことがある、もしくわ今考えているのなら、自分がどうしたらいいかわからなくなっているサインじゃないかなと思います。
かつて私もそうでした。自分の道がわからなくなってしまった。
キッカケとなったのは、多くの人の畳に対する冷ややかな目線と言葉、畳業界の現状と将来に不安を覚え、足踏みしてしまったことからです。
人生選択の岐路にたった23歳の私の話。
人生の岐路に立つ
畳の修行期間というのは約4年で終わり、2015年4月からは職人という扱いで働いていました。
残り2年(2017年4月)でお世話になった沢辺畳店からは卒業です。
それは修行期間だった時とは違って、将来的に職人としてやっていくのか、お店を持って畳屋を開業するのか多くの選択肢の中から自分の進路を考えなければいけない時期迎えていました。
「後継げばいいじゃん」って思った人もいると思うので説明すると私の実家は元畳屋で祖父が亡くなった時にお店も潰してしまい今は跡形もない状態になっています。
もし畳屋として起業するならまた一から機械も道具も揃えなくてはいけません。
畳の【機械・道具・材料代】は結構な費用がかかるモノで、最初にかかる設備投資を試算したら今の私ではすぐに払えないような金額でした。
仮に借りられたとしても、優柔不断な気持ちの中で返していけるのか正直自信がありませんでした。
だからといってどこかの畳屋・内装店に勤めるのは意欲が湧かず否定的でした。
おそらく職人さん達の仕事に貢献したいという思いと自分の技術面以外のスキルアップを望んでいたからだと思います。
それで悩み結局自分がどうしたいのかわからなくなって人生の選択で道に迷ってしまいました。
批判から見えた何か
真実が扉をノックするとあなたは言う。「あっちへ行け。私は真実を探しているのだ」そして真実は去っていく
ロバート・M・パーシグ
畳職人の仕事をしてると「綺麗になった、ありがとう」「新しい畳は気持ちいい」という言葉をよく聞きます。
この仕事をしていて本当によかったと思える瞬間です。
たぶん多くの畳屋さんも職人さんも同じ気持ちだと思います。
その一方で「畳って需要なくない」「職人って儲からないよね」という否定的な言葉を投げつけられることもあります。
特に若い同世代の人達からよく言われた言葉です。
と腸が煮えくり返る気持ちでしたが「喜んでくれるお客様がいるんだから関係ない」とそんな意見は無視してきました。
でも、もしかしたらこれも一つの意見でなのでは・・・・
これらの言葉は何か大切なことなのかもしれないと考えるようになりました。
需要がない、儲からない原因ってなに?
畳はなぜ需要がない?
まずは畳に関するデータから見ていく事にしました。
畳の需要は平成29年の現在から10年前の平成19年で1/10に減少したと言われています。
それにともなって国産「い草」の需要も大幅な減少となっています。
農林水産省の統計データによると全国のい草農家戸数の推移の変化は平成元年に8578(戸)あった農家戸数は平成28年522(戸)まで減少してしまいました。
▼い草についてはこちら:有名ない草の生産地はどこ?|国産い草の機能と現状について解説
畳の需要の低下には、主な理由として三つあると思います。
日本人のスタイルの変化
高度経済成長の終わりとともに進んだ地域の過疎化と人口減少
限られた市場
江戸時代が終りを告げ明治に移り変わると日本建築から西洋建築に少しづつシフトしていきます。
それが加速するのは戦後の高度経済成長期、西洋建築の建売が急速に建築市場を覆います。
デフレに入るとマンションやアパートなどの集合住宅が人気を博し、畳の需要も低下していきました。
畳屋の最大の特徴は地域密着型の商売ということです。
言い方を変えれば地域のコミュニティで成り立つ商売と言ってもいいでしょう。
どちらにせよ市場は限られているので目的の変更が必要なのかもしれません。
職人はなぜ儲けられない?
「職人(建築業の職人)が儲けられない仕事」と思われている理由の一つに建築業界の仕組みに問題があるのではないかと思いました。
建築業界は、ピラミッド型になっていて多くの仲介手数料を抜いていくから職人の単価が叩かれる。
なので職人は安い価格でたくさんの物件数をこなさざるおえなくなる。
だからといって私みたいにこのような発言してしまえば仕事をもらえなくなってしまいます。
さらに最近はピラミッド型に拍車がかかっているように感じます。
特に数少ない成長市場と言われるリフォーム・リノベーション市場に相次ぎ異業種が参入してきてこれまでよりお客様と施工者が遠い距離になっていってる気がします。
それはお客様にとっても変なことだと思います。
誰だかよくわからない人が家に訪ねてきて工事して帰っていく。
それだったらロボットでいいじゃん!って思います。
せっかく街の職人を使うならお客様ともっと近い距離で仕事をしなくてはいけません。
このような畳業界の問題点を考えた結果、自分の役割がようやくわかりました。
それは沢辺畳店を辞める約2ヶ月前のことです。
三歩進んで三歩下がる
沢辺畳店を卒業するまで2ヶ月を切ってしまいました。
ですが、もう悩みも不安もありません。
やるべきことが見つかった私のモチベーションは高かった。
まず問題を解決するために必要なのはインターネットだ!と思い、すぐにパソコンを購入しました。
ウィンドウズのパソコンは子供の頃によく使っていましたが、macは使い方がよくわからず後輩に聞きながらなんとか設定をしていきました。
本当はウィンドウズのデスクトップが欲しかったのですが、引っ越しがあるからめんどくさくてノートパソコンにしました。
最初にSNSを登録して無料ブログで情報発信しながら、HP作成をするためローカル開発環境を構築して環境を整えました。
久しぶりのHP作成は「デザインの教科書」と「HTML&CSS&Javascript」の本を見ながらの構築になりました。
中学のパソコン部以来ですが、思ったよりはスムーズに進んでいました。
そんなある時、VirtualBoxがアップデートを要求してきました。
もちろん要求に答えました。
ですが、その瞬間にVagrantと繋がって紐が切れたんです。
何回ググっても何回Teratailに聞いてもわからない。
とりあえずネットを見ながら初期化しようとターミナルで色々試してみました。
そしたら作ったデータがなぜか飛びました( ゚д゚)
さらに初期から入ってたソフトウェアも飛んでいきました( ゚д゚)
バックアップもとってない。
ここで学んだのは知識がない人間がターミナルをいじくりまくるのは危険ということ(T ^ T)
バックアップは絶対とっておく必要があるということ(T ^ T)。
さらにSNSも無料ブログもつまらないコトしか発信できず失敗に終わります( ;∀;)
結局何も進まず2ヶ月無駄にします( ;∀;)
応援してくれる人はいる
結局何も出来ずに沢辺畳店を卒業します。
東京に帰って来てからは、他の人のブログとSNSを徹底的にググって調べました。
あの時の失敗を生かして次こそはとツイッターとフェイスブックをはじめました。
▼Facebook▼
▼Twitter▼
仕事の方は職人のフリーランスをしながらウェブサイトを構築していました。
現在は和室の新しいスタイルを内装から作り出すことを目的として活動しています。
また畳業界の発展に寄与する為、若い職人を集めて巨大なネットワークを作り、日本国内だけでなく海外に向けて情報発信をするチームを作っています。
そういえば「独学でサイト構築ってできるの?」と友達に聞かれますが、今の時代やる気があればお金をかけずに独学でサイト構築は出来ると思います。(CMSもありますし)
「ドットインストール」を使って勉強して、「Teratail」を使ってわからないことは質問してあとは、ひたすらGoogle先生に聞く。
でも効率がすごい悪いので問題はたくさんあります。そんな時は親戚のお兄さんに助けてもらいました。
そのことを通してわかったことがあります。
一人で出来ない時は人に助けを乞うてみること。
自分の知識や技術だけではどうしようもならない場合はきっとあります。
誰かにお願いするのは恥でもなんでもなくチームプレイを得意とする日本人の一般的な行動であると思います
もう1つは人との繋がりがとても大切なのだと再認識したこと。
何かと馬鹿にされること、貶されることが多かった私にアイデアを授けてくれたり「私に何ができる?」と聞いてくれる優しい社長さんたちとの繋がりこそ宝物であると思います。
私の目標
私には目標があります。
和室の再構築と建築業界のピラミッド型を緩和することです。
和室は「和」によって成り立つ部屋。
和とは文化と文化の融合であり自然物と人工物の融合です。
文化と自然と人工物が融合した空間こそ和室。
その和室の象徴的存在が「畳」です。
そう考えると畳も和室も再構築が可能であり世界に発信できるような日本の新しい文化を作ることができると信じています。
もう1つは建築業界のピラミッド型を壊してもっとユーザーと施工者が近い距離で家づくりができる環境を作ること。
そっちの方がもっと創造力豊かで、なおかつ安い価格で家づくりが出来ると信じています。
それには職人業界にインターネットがもっと普及しウェブサービスを使ってもらわなければなりません。
今まで職人の世界はインターネットを必要としてこなかったため、彼らにインターネットが必要だ!と思ってもらえるような情報を提供するWEBサービスは必須だと思いました。
また、個人での情報発信よりネットワークでチームを組み発信した方が大きな発信力になると考えRushArtisan(ラッシュアーチザン)を立ち上げました。
一緒に発信していきたいという方は畳職人でなくても大歓迎です。お問い合わせを心よりお待ちしております。
最後に
いかがだったでしょう。
三歩進んで三歩下がる。
失敗ばかりを繰り返す私ですが、ここ最近は少しづつ前に進んでいる感じがします。
それも全て人との出会いのおかげです。
人が人を紹介してくれてこのような言葉をかけてくれます。
「私に何ができる?」
この一言は私の心を鼓舞する一番の言葉になっています。
私もこの言葉をかけてくれた方達のような人になりたい。今はそう思います。
読んでいただきありがとうございました。
ご意見・ご要望などありましたらお問い合わせ・ツイッターのダイレクトメッセージ・フェイスブックからお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。