本記事をご覧いただく前に、旦那デスノートとカフカの「変身」を一度見て、読んでいただくことをお勧めします。一応、記事内で旦那デスノートとカフカの「変身」の説明は致します。
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今から読むのがめんどくさいという方のために簡単にはなりますが、旦那デスノートとカフカの「変身」についてご紹介します。
旦那デスノートとは?
皆さんは旦那デスノートをご存知ですか。
旦那デスノートとは旦那が浮気をした、旦那の金遣いが荒い、旦那が風俗通いしている、旦那が子供の世話をしない、旦那がマザコンなどの旦那への恨み辛みを綴った掲示板のことです。
掲示板と言えば聞こえは良いですが、旦那デスノートはかなり過激な掲示板で、旦那の悪口をちょっと書いてるレベルの話ではなく「頼むから死んでください」「早く死んでくれることを祈ってます」などの辛辣な内容が書いてあります。
客観的にみて旦那が悪いのは認めますが、ちょっと言い過ぎな気も・・・します。もし結婚してない男性が旦那デスノートを見たらきっと凹むことだろうし、結婚したくなくなってしまうかもしれません。
それくらい旦那デスノートはハードパンチな掲示板なので閲覧注意です。
カフカの「変身」とは?
カフカの「変身」とは、主人公のグレゴールがある朝目を覚ますと毒虫になっていたというミステリアスな感じから始まる不条理文学です。(カフカの変身における「毒虫」はどんな虫か解釈が分かれる。解説によるとムカデのような虫ではないかとも言われている)
あらすじ
愛する息子(グレゴール)が毒虫に変身したことで家族は戸惑い絶望します。父親はスティッキで攻撃。母親は悲痛の叫び声をあげて意気消沈。とはいえ、グレゴールは大切な息子であることに変わりはありません。元の姿に戻ってくれることを祈り続けます。またグレゴール自身も愛する家族だけが生きる支えでした。しかし、毒虫となったグレゴールはとにかく気持ち悪い。気色の悪い動き、迷惑な行動から次第にグレゴールに対しての感情が変容していきます。終盤には大好きな妹に「これ」呼ばわりされ「(これ)放り出しちゃうのよ」と言われてしまいます。ただ、グレゴールも妹と同じ気持ち、いやもっと強い気持ちでした。グレゴールは家族との思い出を振り返りながら息を引き取り、翌日部屋で発見されます。家族は少しだけ悲しみ涙を流しましたが「過去は過去だ」とし、解放感に満たされた家族3人はこれからの未来を思い描きながら外にお出かけしにいく。
とこの様な話です。
愛とは何か?旦那デスノートを読んで思ったこと
旦那デスノート。カフカの変身。
どちらを語るにしてもまず愛とは何かを考えなくてはなりません。
愛とは何か?
「愛とは何か」この疑問に多くの小説家や学者、音楽家、スピリチュアルな人がそれぞれの見解を述べています。
例えば・・・。
私が理解していることのすべてを、私はそれを愛するがゆえに理解している。愛は生命そのもの。
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 小説家
愛とは他人の運命を自己の興味とすることである。他人の運命を傷つけることを畏れる心である。
愛とは、限りない寛容、些細なことから来る法悦、無意識な善意、完全な自己忘却である。
愛とは相手に変わることを要求せず、 相手をありのままに受け入れることだ。
ディエゴ・ファブリ
愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。
太宰治
愛とは苦しみを通して他人と結びつくこと。美しいもの、魅力あるもの心ひかれることは容易い。たとえそれが魅力を失い、色あせたとしてしても守り通すことが大切なのだ
どの言葉も愛とは何かについて「なるほど」と思うことがある一方で、どこか違和感を覚えてしまいます。違和感の理由を上手く言語化できるかわかりませんが、「愛」という抽象的なものを無理矢理現実に結びつけている感じがします。
それはこれから説明する私の考える愛とは何か?にも関係する話なので、次に進みたいと思います。
旦那デスノートとカフカの変身から思う愛とは何か?
では、私が考える愛とは何か。
それは先ほど紹介した旦那デスノートとカフカの「変身」の中にあります。先に結論から言ってしまえば、愛とは状況や環境に応じて変わるものだし、美しくて綺麗なものではない。愛とは虚構の中で膨れ上がった幻想だと思っています。
旦那デスノートを読んでまず思ったのは、なぜ奥様達はこんな深い憎しみの文章を書くようになってしまったのか。ということです。
結婚する前、もしくは付き合っていた頃は旦那デスノートを書くことになるなんて夢にも思っていなかったはずです。
幸せで明るい未来を想像して二人は手を繋ぎ歩き始めた。それが結婚し子供が生まれ生活環境が変化すると、愛に溢れていたはずだった二人は次第に変容していった。
寛容という言葉は消え、お互いを尊重し合うことは無くなり、いつしかこの世から消えて欲しいと願うまでになってしまった。
そして、旦那デスノートに旦那が死ぬことを書き綴るに至るわけです。
こう考えた時、旦那デスノートに書かれている事はカフカの変身そのものだなと私は思いました。
グレゴールは家族を愛していた。家族もまたグレゴールを愛していた。しかし、グレゴールが毒虫になると、家族は「グレゴールにいなくなってほしい」と願うようになってしまった。
カフカの書いた世界と旦那デスノートの世界がまるっきり酷似しています。
カフカが愛をどう捉えていたのかは知りませんが、愛は環境によって変容することは知っていたのかもしれません。
つまり、我々が口にしている愛という言葉は揺るぎないものではなく、ただの虚構に過ぎない。もっと言ってしまえば、愛という言葉は妄想で作り上げた関係性の最上級に位置するものだと思います。
実はカフカの変身の「変身」は何を指しているのかまだ解釈が分かれているそうです。
もしグレゴールが毒虫に変身したことを指していなかったとしたら、その変身という言葉は家族がグレゴールに対して変わってしまった愛への変身だったのかもしれません。
本当に醜いのは毒虫に変わってしまったグレゴールではなく、環境が変化しただけで変わってしまった家族(人間)の方なのかもしれないのです。
此れを以てく愛というものは存在しないと私は思っています。
「愛は変わらない」「愛は永遠だ」とか言うわりに、環境や状況が変われば「愛」は一瞬で消えて無くなる。そんなものは定義できないからです。
愛の存在を信じるか信じないかは皆様にお任せしますが、愛というものは皆様が思っているより遥かに脆く儚いものであると私は思います。
愛は見つけることより、愛を探すプロセスに価値がある
世間では、愛は見つけることが重要だと言います。
私はこの意見に賛成できません。愛は虚構であり、見つかる愛は不変の愛では無いのだから。
ただし、愛を探すプロセスには価値があると思っています。愛を探すことは相手の良いところを見つけようと努力することであり、相手の悪いところを許すことでもあります。
そういった言動や行動は、人間そのものを優しい気持ちにさせることにも繋がるわけですから「愛は人を強く優しくする」という言葉はあながち間違いでは無いのかもしれません。
だから愛を探す行動(言動)は生きる上で最も価値が有ることだと私は思います。
大切なことは一人の人を愛するにせよ、複数の人を愛するにせよ「永遠に愛する」「真実の愛を見つけた」ではなく、不確実な愛を探し続ける”愛の探求”こそ大切なのです。
愛することは悪いことではない
これまでの話を総括すると私は、愛は虚構であり存在しないものだと言ってきました。
では、愛することは悪いことでしょうか。
愛以外にもこの世には虚構で存在しないものがいくつもあります。例えば、国家やお金、平等、自由など、それは全て虚構であり存在しないものです。
もし愛することが虚構だからと、存在しないものだから信じる事は悪いことだと言うのなら、これら全ても否定しなければなりません。仮に全てを否定したとして、他人の思想の押し付けなんて大きなお世話と言うもの。
虚構だからと存在しないものだからと否定する権利は誰にもありません。
それに愛をいくら否定したところで、燃え上がった情熱の中で感情を抑えて理性的な行動が取れるのでしょうか。病気的な恋愛は自らのコントロールを失うもの。
愛について何を考えようが思おうが、一旦恋に落ちてしまえば何もかも無意味であると私は思います。ただ、愛を見つけたからと言って目を瞑ることなく、探し続ける努力は大切なことだと思います。
そうすれば旦那デスノートも少しは変わるかもしれません。そうですね。DeathからLoveに変わることを祈ってこの記事の結びとします。
最後に
いかがだったでしょう。
旦那デスノートとカフカの変身からみる「愛とは何か」をわかっていただけたでしょうか。
とんでも発言すれば、誰かと愛しあわず、自分の幻想の中だけで「愛」を作り出している方が幸せなのかもしれない。って思うこともあります。
やばい考え方ですかね。
まぁ。それはそれでリアルを感じた時、寂しい気持ちに苛まれるでしょうが。結局のところ、我々人間は、醜いまま生きて醜いまま死んでいくのがお似合いなのかもしれません。
読んでいただきありがとうございました。