今回は私の適当に呟く随筆になります。

 

軽い気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。

 

幸せな生き方とは?

 

私が京都に住んでいた頃、木屋町で出会った女の子がよく言っていた言葉。

 

適度に適当

 

何故だか、この言葉が今(27歳)になって浮かんでくる。私のこれまでの歩みは適当だったのか。真面目だったのか。その評価は他人がすることだから、自分ではよくわからないもの。とはいえ、自分の歩みがいかなるものだったのか、これからの歩みはどのような道のりになるのかを考える事が頻繁になった気がする。

 

自由な選択

昔、生きる事というのは死に物狂いだった。食うか食われるか、殺すか殺されるか。生とは熾烈を極めるものであった。ところが、太平洋戦争後日本は平和の道を歩み続け、生きる事が簡単(昔に比べて)になった。現在では夜中に女の子が一人で歩いている地域もある。少し前では考えられかった事だろう。

 

以前なら過酷な環境の中、生きる事に対して、適当に!とか楽に!とか真面目に!とか選択の余地などありえなかった事が、今では比較的多くの国民が適当な人生も楽な人生も真面目な人生も全て選択できる(無論、選択できない子供がいる事は知っている)ようになり、自由度が高い生き方が当たり前の社会になった。

 

「若者には貧しくなる自由がある」

 

少し前に竹中平蔵氏がこのような言葉を言っていた。相当批判があった言葉らしいが、経済的なことや感情論を抜きにしたらある程度わかる話だと思う。というのも、私は高卒で学歴が全くない。一般的に考えれば有名大学卒業の人たちに比べて年収は低いはず。ところが今の私の年収は国民の平均年収(約441万円)よりも高いお金を稼いでいる。この差は「10代から20代前半にかけて自分は誰よりも頑張ってきた」という自負から生まれる自己効力感の高さに起因する。誰よりも頑張ってきた。だから独立してもやっていける。若い職人でもしっかりとした値段で売れる。全て努力からきた自信のおかげである。

 

幸せとは限らない

とはいえ、その代償は大きいものもある。毎週のように行われるビジネスの会。地域貢献のイベント。仕事の方達との飲み会。ネットを使っての集客に費やす時間。そんなのが大半を占め、普通の暮らしや幸せに生きると言った理想とする概念を全て捨てたような気がします。全ては仕事の為に!そんな時間を過ごしている気がします。

 

地元の友達と遊ぶのに畳表のサンプルを持っていく。バックには畳の資料が入っていて、女の子とデートする時も持ち歩いている。トイレもお風呂もどんな時も、メールと電話をチェックする為、スマホを手離さない。明日の天気を見て、数分単位で段取りをチェックして行動する。お昼ご飯も早く食べられるようにと、おにぎりかサンドイッチが基本飯。寝つけが悪くならない為に毎晩ASMRを聞いて寝る。

 

もっと稼いでいる人はもっと凄い生活しているかもしれませんが、皆さんはこんな生活したいですか?

 

確かに若者は貧しくなる自由も、富む自由もあるのかも知れない。ただその結果、不幸を手にするのか、幸せを手にするのかはわからない。誰にもわからないのです。

 

適度に適当に生きる20代

では、どうやったら幸せに生きることができるのだろうか。幸せの定義は人それぞれ。と言っても先ほどのような生き方は、仕事が大好きな私だって嫌になってきてしまう。できれば仕事が好きなまま、プライベートも充実して幸福を感じたい。

 

その答えが適度に適当だと思う。

 

適当の意味は「程よい」こと。程よく仕事をし、程よく生活していく。それが適度に適当に生きることだ。幸せを手にすることの意味をよく理解していない20代は、目の前にある道を唯直向きに、唯がむしゃらに進む事しかできないように感じる。だが、もし道標として何かあるなら私は適度に適当という言葉を推したい。仕事だけを一生懸命頑張ったって幸せになれるわけではないし、遊びだけを一生懸命頑張ったって貧しくなる一方だ。

 

それなら仕事も遊びも適度で適当にする。

 

とりあえず20代まで座右の銘は適度に適当にしようと思います。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

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