なんで畳職人になったの?畳職人になろうと思ったキッカケ

 

みなさん、こんにちは!畳製作一級技能士の樋口です。今回は、なんで畳職人になったの?畳職人になろうと思ったキッカケを紹介します。

 

なんで畳職人になったの?

 

 

今まで生きてきて一番受けた質問がこの「なんで畳職人になったのか?」です。

 

畳って斜陽産業ですし、職人って儲かるビジネスシステムではありませんよね。

 

若い人が目指すのには相当な想いや理由があるのかも・・・。そう思って皆さん質問してくださるのですが・・・・。

 

そこで今回はなんで畳職人になったの?畳職人になろうと思ったキッカケを紹介します。

 

私、樋口裕介がなんで畳職人になったのか気になる方の参考になれば嬉しいです。

 

なんで畳職人になったの?畳職人になろうと思ったキッカケ

 

 

 

畳職人になろうと思ったキッカケは・・・・。

 

祖父に憧れていたからです。

 

私の祖父は畳職人でした。

 

畳職人の修行中に戦争を経験し、後に独立。私の実家がある江戸川区で畳の会社(有限会社樋口畳店)を開業しました。

 

開業当初は軽トラも無く、リヤカーに畳を乗せて運んだと聞きました。畳は1枚40キロ近くあるので、6枚運ぶのでも相当大変だったのではないかと思います。

 

また、今のように機械があったわけではないので、大量の畳を手縫いで縫い上げており、耳が聞こえなくなったり、鼻血を出すなどの代償も払っていました。

 

そんな畳を作る祖父の姿に憧れを抱いた!と言いたいところですが、私は自分の眼でその様子を見た事はなく、これらの話は母から聞いた話で、私が小学生にあがって間も無くして祖父は他界してしまいました。

 

私が憧れを抱いたのは祖父の畳職人として姿ではなく、一人の人間としての生き方でした。

 

祖父は妾の子して生まれた事がキッカケで実子からは虐められる幼少時代を過ごし、ひもじい思いをしながら戦争を経験しました。

 

戦争終結後も焼け野原になった東京の街で、畳を作って高度経済成長の街づくりに貢献し、弟子や職人、従業員を雇って社会にも貢献しました。

 

地域の町会では理事も務め、地域の安全と平和に尽くしたのです。

 

激動の昭和を死物狂いで駆け抜けた祖父。そんな祖父を私は誇りに思い憧れるまでに至ったのです。

 

それが畳職人になろうと思ったキッカケです。

 

何かになろうと思うキッカケ

私の経験を通して、何かになろうと思うキッカケは大した理由でなくても良いのではないかと思います。

 

20代前半の頃、なりたい職業が無い!とかやりたいことが無い!という友達が多くいました。

 

その時、私は思ったのです。

 

考えている暇があるならやってみたら良いのに。って。

 

私は畳職人に憧れてこの仕事を選んだわけではなく、祖父に憧れてこの畳職人の仕事を選びました。

 

畳職人の仕事なんて何をやるのか何も知らない状況で、「京都で修行してくる」と言って、小さなキャリーバックを持って旅立ちました。

 

畳職人の仕事がつまらなかったらやめよう。ぐらいの軽い気持ちです。

 

でも、やってみて楽しかったし、自分の作った畳を通して人に喜んでもらえるのは純粋に嬉しかった。

 

だから今日まで続けてこれたのです。

 

私は後先何も考えないタイプの人間ですが、この「なりたい職業がない」「やりたい事がない」問題に関しては、私タイプの人間の方が悩まなくて済むのではないかと思います。

 

何かになろうと思った時に、まずはやってみないと何もわからない。

 

だから先ずはやってみる事だと思います。

 

私の経験を通して誰かの参考になれば幸いです。

 

https://youtu.be/Zm7W_pvF6Vk

 

YouTube動画でも語っているので見てください。

 

最後に

 

なんで畳職人になったの?と聞かれるのはすごく嬉しい事です。私に少なからず興味を持ってくれているわけですから本当に感謝です。

 

ただ、誤解を恐れずに言えば、なぜその職業を選んだのかは然程重要では無いと私は思います。

 

大事な事はその後、どうしていきたいか。どうなりたいかだと思います。

 

だからキッカケなんてのはどうでも良くて、先ずはやってみる事だと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

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