なぜ人は接吻をするのか。パートナーとキスをしたくなる理由を考察する。
なぜ人は接吻をするのか
この疑問が芽生えたのは、数年前。当時お付き合いしていた方の肩(肩鎖関節あたり)に私がキスをした時だった。あまりの無意識なキスに自分でも驚き、なぜこのような場所にキスをしたのかと考え込んでしまうほどだった。
性に論理があるのかどうかわからないが、性だって無意識なものではないはず。むしろ相手を意識しているのだから、普段より意識的に行動するのが当然である。
なのにも関わらず、私はほとんど何も考え無しでキスをした。それは一体なぜなのか。
自分のものにしたい
ある日、ご飯を食べていると食卓に並んでいる食器が、自分のものとそうでないものに別れていることに気がついた。自分のものとされる食器には茶碗や湯呑みコップ、箸などの唾液が多く付着するもの。一方、自分のものではない食器には無闇矢鱈に付着させようとしなければ、唾液が付かないもの(汁などで付きにくいもの)に別けられている。
その時、ある仮説が舞い降りてきた。人が接吻する理由は唾液を付けて自分のものにしたいからではないかという仮説だ。
唾液がつく=自分のものである点は幼少期よりみられる。私の体験では、友達とお菓子を分け合う際に、唾液を付けて「これは俺のだ」という悪ガキがいた。
大人になっても唾液をつけて「俺のだ」という人はいないだろうが、もしかしたら唾液をつけてパートナーを自分のものにしたいという潜在的な観念が残っているのかもしれない。
注意:『もの』という言葉を使ったが、人を『物』として扱ったわけではなく、対象物に対しての抽象的な意味合いとして使った。ご理解いただきたい。
五感で感じたい
相手のパートナーに接吻したくなる理由は、相手のパートナーを五感で感じたいと思っているからではないだろうか。我々人間は、五感で感じることに喜びを見出す生き物だ。
触覚、嗅覚、視覚、聴覚。そして、味覚。(本当は具体的な描写を書きたいが、男性が書く性的な表現は絶対的に気持ち悪い。昭和の文豪である川端康成先生でさえも性的な表現は気持ち悪かったのだから、私が書いたらドン引きになる。しかも畳ブログだから余計に書きたくない。描写は各々で想像してほしい)
五感全てで感じることで満たされる。その満たされたいという欲求こそがパートナーにキスを求める理由かと思う。
パートナーとキスをしたくなる理由
マイナビウーマンによれば、男性はキスをする場所によって心理状態が異なると書いてある。例えば、おでこにキスをするのは友愛の証で、手の甲にキスをするのは敬愛の証だとか。
他にもキスをする各パーツ部分によって男性の心理状態は異なるらしい。もしそうであるなら、なぜパートナーにキスをしたくなるのかに対しての答えは、キスをする部分によっても答えは異なることになる。
これまで仮説を二つ紹介した。
- 自分のものにしたい
- 五感で感じたい
この仮説が正しいと仮定した場合、どこにキスしたら自分のものにしたいのか。五感で感じたいのか。そこまで思慮深く考えなくてはならない。
更なる可能性として、それが複合的に重なり合う場合も考えなくてはならない。おでこにキスすることは、友愛だけなのか。手の甲にするキスには、本当に恋愛感情はないのか。
シェイクスピアの戯曲で有名な『ロミオとジュリエット』という作品には、ロミオがジュリエットに惚れた様子で手の甲にキスしたいと懇願した描写があったように記憶している。(私の記憶が正しければ)
つまりは、敬愛は恋愛と重なり得るということだ。
なぜ人は接吻するのか。
その答えは一つではない。色々な感情が折り重なってパートナーにキスをしたいと思うのだろうと総括する。
最後に
キスの歴史は遥かなものである。キスとは、永遠の時間の中で人間がいかにパートナーを大切にできるか、大切にしたいかを問いた行動なのかもしれない。
だとしたら、なぜ人は接吻をするのか?パートナーとキスをしたくなる理由は?なんか考えるよりも目の前の人に集中し、もっと大切にした方がいい。
私自身、毒矢のたとえとして、あの頃の自分を恥じている。