今回の随筆は、音楽の話です。
音楽の話
オデュッセウスの帰路の際、彼は歌を聞いて楽しみたいと思い、船員には蝋で耳栓をさせ、自身をマストに縛り付け決して解かないよう船員に命じた。歌が聞こえると、オデュッセウスはセイレーンのもとへ行こうと暴れたが、船員はますます強く彼を縛った。船が遠ざかり歌が聞こえなくなると、落ち着いた船員は初めて耳栓を外しオデュッセウスの縄を解いた。ホメーロスはセイレーンのその後を語らないが、ヒュギーヌスによれば、セイレーンが歌を聞かせて生き残った人間が現れた時にはセイレーンは死ぬ運命となっていたため、海に身を投げて自殺した。死体は岩となり、岩礁の一部になったという。
一説によれば、音楽の起源は動物の鳴き声を模倣したことから始まったと言われている。自然界に存在するあらゆる音を組み合わせ時間にしたもの、聖歌から始まり往古を積み重ねて築き上げてきたもの。それが私たちの知る音楽である。
苦しい時には癒してくれる。辛い時には励ましてくれる。楽しい時には盛り上げてくれる。音楽は人間にとっての救済、人生には不可欠なものだ。
しかし、音楽はときに攻撃的で、暴力的で、支配的だと思うこともある。
ホメロスのオデュッセウスにあるように、音楽は人を引き寄せ、そして殺す。鳥笛で鳥を呼び寄せ殺すのと同じように。鹿笛で鹿を呼び寄せ殺すのと同じように。音楽もまた人間を魅了して殺す。
コンビニエンストアのメロディ。CMで流れる曲。企業PRの為のミュージック。一度、導火線に火が付けば頭から離れない、消すことのできない音楽の暴力である。
現代社会にはセイレーンが多い。街の至る場所、生活空間、あらゆる世界に生息している。そして現代のセイレーンは不死である。正しくは過去に遡って繰り返される。何度も蘇る永遠の輪廻。それが現代のセイレーンだ。
愛すべき音楽が憎い。無意識に人生を消費されている、コントロールされているのが怖くて仕方ない。なによりも純粋無垢な気持ちで音楽を楽しめたあの頃に戻りたい。