
こんにちは!
畳職人の樋口です。
人生100年時代!なんてテレビでよく取り上げられていますが、それって実際良いの?か疑問ですよね。だって年金どうするんですか。今だってちゃんともらえるかわからないのに。
そこで今回は人生100年時代の生き方について語るエッセイになります。
人間の寿命が延びた?
人生100年時代なんて言われるようになった背景は寿命が延びたことが要因といわれています。そう。長寿化です。特に日本は世界よりも長寿が多い長寿大国として有名です。
長寿化の背景にあるのは、乳児死亡率が低くなったこと、安全な食料の供給ができるようになったこと、医学テクノロジーの進歩、これらが平均寿命を増加させたとも言われています。
では、みなさん、寿命が延びたと言いますがどれくらい延びたかご存知ですか?
これは産経新聞に掲載されていた2015年のデータですが、女性の平均寿命は86.99歳、男性の平均寿命は80.75歳となりました。
この86.99歳という数値が何を意味しているかというと、今から100年前の平均寿命の倍の数値になっているという驚きの結果なのです。
今から100年前の日本の平均寿命は約44歳、世界の平均寿命は約31歳でした。それからたった100年。たった100年で寿命が倍になったのです。
今からもっと昔、約450年くらい前に戦国時代の武将、織田信長はこんな歌を歌っています。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか
織田信長
これは織田信長が桶狭間の折、「敦盛」の一節を引用して歌い出陣したと言われています。
この歌詞の意味は「人間は所詮50年。天の世界と比べれば夢や幻のようなもの。命はあるものは滅びてしまう(諸説あって、人間ではなく人の世と表し、50年の歳月は天界と比較した人の世の流れる時間という意味らしい)」というもの。
大事なのは歌の意味ではなく、この時の平均寿命が40歳くらいだった(一説には30歳後半くらい)こと。またこの「敦盛」は作者も制作年も不詳となっていますが、かなり古いものだと言われています。
つまりは、織田信長の時代(約450年前)の平均寿命が40歳くらい、100年前の平均寿命は44歳くらい、現在の平均寿命が80歳くらい。ここ100年で急速に平均寿命が延びでいるということです。
100年前、これだけ急速に平均寿命が伸びることを中央政府も、学者も、私たちも予測できたでしょうか。
誰も予測できない状態で進む医学のイノベーションにも倫理などの問題で疑問が残ります。
死の定義が決まらない?
皆さんは人工心臓をご存知ですか?
人工心臓は今まで、臓器移植の際のつなぎとして開発され、利用されてきたデバイスです。今問題となっているのが、その人工心臓が人間の従来の死の定義を変えてしまうかもしれないということです。
人間の死の定義は「心臓の鼓動が停止する(臓器移植の為、脳死状態も人間の死と認定)」としています。もしこれから無限に人工心臓を動かすことが出来たら”死”って何か決まらないですよね。
この問題は医者だけの問題ではなく、人間一人ひとりの倫理の問題です。
もし大切な人の心臓が止まり、人工心臓で永遠に動かすことになったら、一生そんな生活を強いられる大切な人は幸せでしょうか。かわいそうって思い人工心臓を止めたら殺人者ですか。
テクノロジーの進歩は止まらない。それなら人間が倫理の話をするしかない。
日本社会の問題が深刻化
みなさん知ってますか?
私たちの世代(25歳)は65歳までに3000万は貯蓄しておく必要があるなんて言われています。ちなみに貯蓄する気ゼロの私は全然貯めていません。
儲けたら仮想通貨買いまし!しているので親は泣いてます(笑)
冗談はさておき、3000万というお金は一つの指標でしかない金額ですが、確実に言えることは寿命が伸びたことにより、今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなる危険性が出てきてしまった、ということです。
例えば、その一つが年金です。
先進国では、平均寿命が伸びて出生率が下がることが問題視されています。日本も少子化だ!って連日テレビで報道されていますよね。
これの何が問題かというと、出生率が下がっているのに勤労人口の増加ペースが、引退人口の増加ペースを下回るということです。
これはその先に、税収と保険料収入が減り、年金給付金の支出が膨らむという事態に陥ってしまうことを表しています。
リンダ・グラックトンとアンドリュー・スコット著の「ライフシフト」では、この問題について我が国では深刻化している問題であると指摘しています。
日本の勤労人口に対する引退人口の割合は、1960年は10%でした。これは年金受給者1人に対して勤労世代が10人で負担し支えていることになります。
しかし、2050年は70%までに上昇すると予想されています。これはつまり、勤労世代10人に対して引退世代7人を支えなければ、ならないようになってしまうという指摘です。
もちろんこのデータはこの状態のままいけば、こうなるという話ですが、無視は出来ません。
定年退職いらなくない?
だったら解決策として、定年退職やめたらいいのでは?って思います。今まで頑張って働いてきたのは本当に御苦労様な事ですが、平均寿命も伸びるわけですし、家にいたって、やることなくてワイドショーとサスペンスドラマ見てるだけでしょ。
それだったら、今までの経験を活かしてリスクマネジメントやコーポレートガバナンス、コンサルティング、高齢者向けのマーケティング、コミュニティの構築などやれる事はたくさんあるような気がします。
おい!それって一生働け!ってことかo(`ω´ )o。と激怒されそうですが、現在は働き方だって多様化してます。
80歳パチンコライターYouTuber「不二子(富士子)」さん。なんかほんわかします。
82歳現役プログラマー「若宮正子」さん。
81歳の時プログラミング言語「Swift」を使って、ひな祭りをテーマにしたアプリを開発。最年長ゲームアプリ開発者としてアップルより招待を受けてアップルCEOティム・クック氏と面会。2018年2月には国連総会で演説。現在、政府の「人生100年時代構想会議」の有識者議員も務めています。
この二人は一例ですが、働き方が少しずつ変化していることは間違いないです。
どうでしょう。定年退職いらなくないですか。
人生100年時代の生き方とは
人の生き方に、とやかく言うほど人間出来てない。未来のことなどわからない。
こう言ってしまうとお終いですが(笑)
「100年時代を生きる為に」をテーマの題材にした時、巷では、プログラミングを勉強した方が良いとか、頭を使う仕事はAIで無くなるから体力系又はハードを操作する方に移るべきとか、エンターテインメントに力を入れるべきとか、言われていることにとても違和感を覚えます。
皆さんはそれ、本当にやりたいことなの?
不二子さんも、若宮さんも100年時代を生きる為にしょうがなく始めたのではなく、人生にとって動画をとることが、パソコンを通じて人と話すことが楽しいから始めたんです。
自分が楽しいと思うことを続けてたら結果エンターテイナーとなったり、プログラマーになったのです。
つまり、結果論であり目的ではありません。
例えばリスク分散としてプログラミング学ぶとかエンターテインメントに力を入れるとかなら理解できます。
どんなことでも知識を身につけるのは大切なことですから。
ですが、本業?って言えばいいかわかりませんが、主は絶対に自分の好きなことやった方が良いと思います。
私は畳職人で「畳って需要ない」「職人って儲からない」って言われまくってますが、畳の仕事が好きだから関係ありません。それなら変えてやる!ってそう思ってます。
自分の生き方を肯定するわけではないですが、自分で決めた道だから後悔することはありません。
でも、もし人に言われた通り生きてダメだった時、アイツの言う通りしなければよかったって後悔しないですか?
自分の道は自分で決めましょう。
その道は好きなことをしましょう。
結局、人の生き方に対してトヤカク言ってしまったのですが(笑)
言いたいことはこれだけです。
「いつ死ぬか」から「いつまで生きるのか」に変化した時代に、どうやって生きるか考えることは終わりがないですね。
最後に
いかがだったでしょう。
Twitter上には「生き方を伝授する」生き方伝道師がたくさんいます。
そんな人達を見るたびに、君は何かの宗教の教祖か!って突っ込みたくなります。
生き方を伝授している人は教祖で、ツイートが教典、そのグループは信者達。
そこでイイネを押している人はマインドコントロールされていないか心配になります。
おそらくですが、イイネを押す人たちは、人生に悩んでる人たちなんだと思います。
そう意味でいうと宗教って楽ですよね。教祖の言った通りに生き方決めてもらって選択すればいいから。
苦悩で満ちている人はそういった宗教にどっぷり浸かっても文句ないですが、元気な人は生き方ぐらい自分で考えましょう。
結局ツイッターで呟いてる教祖様はあなたのことを助けてくれないんですから。
読んでいただきありがとうございました。