生きたお金の使い方とは?|これからの職人ものづくり論

 

 

近頃、ものづくりに関する随筆を書いていなかったので、久しぶりに筆を執った次第です。今回の随筆の内容は、生き方お金の使い方、効率化の弊害、複雑化という視点という3構成から、これからの職人ものづくり論を書きました。職人のものづくりを考える上で何かの参考になれば嬉しいです。

これからの職人ものづくり論

生きたお金の使い方とは?

私が畳業で独立するにあたって、一番大切にしてきたことは生きたお金の使い方についての考え方です。生きたお金の使い方とは文字通り、お金が社会を巡り巡って自分のところに帰ってくる使い方のこと。もしくはお金が帰ってこなくても社会を幸せにし、自分の心を豊かにしてくれること。これが生きたお金の使い方だと思っています。

 

このとき手元にあった50万円をどうやったら生きたお金の使い方にできるのか。そればかりを考えて毎日を過ごしていました。広告宣伝費、接待交際費、設備投資と色々なところにお金を使いましたが、全く意味のない死んだお金の使い方になる事もしばしばで、自分のセンスの無さに呆れる事も多々ありました。

 

ただ、1つ良かった点は自分のお金の使い方に疑問を持つようになったという事です。例えば、友達にキャバクラに誘われても「キャバクラに行ってお金は生きるのか?」と考えるようになりましたし、無意味だと判断したら即断る決断ができるようになりました。

 

それに加えて、今まで重要だと思っていなかった場への考え方も変わりました。例えばスナックなんて中高年の方が行く場所だと思っていましたが、行ってみたら仕事を紹介してくれるママさんにも知り合えたし、地域のコミュニティも作ることができました。

 

「スナックなんて」という考え方が変わったのです。生きたお金の使い方を考えていると意味のある場所が無意味に思え、無意味だと思っていた場所が意味のある場所に変わることがわかる。

 

ただ、それは一部でしかなく、生きたお金の使い方とはギャンブルに近いものであるとも思います。というのも、ビジネス関係の人をキャバクラで接待してからビジネスが広がったという人もいれば、スナックに行っても仕事が全く広がらなかったという人もいます。つまり、意味も無意味もギャンブルみたいなもので、生きたお金の使い方になるのか、死んだお金の使い方になるのかは投資してみないとわかんらない不確実なものだということです。

 

私にとって生きたお金の使い方とは未だに謎多き問いであり、答えの見つかっていないものになります。

 

効率化の弊害

お金が生きるか死ぬか。それはわからない事でも確実に利益を上げる方法があるなら、それは生きたお金の使い方だと考えている方は多いのではないかと思います。

 

その1つが効率化という無駄を無くすことです。

 

会社にとって一番のお荷物は使えない社員であり、働かない従業員です。テクノロジーを利用した高度な業務システムは、そういった人材を削減する事ができ、業務上のあらゆる無駄を無くすことが出来ます。それは会社にとっても、それを使うユーザーにとってもハッピーなことであり、もちろん会社側の利益も上がります。

 

それは畳のようなものづくり業においても同じことが言えます。畳製造の機械化や作業効率を高めるためのシステム作りは、生産性を高め、利益を上げることに繋がる。結果として畳を提供する値段が下がるので、お客様も我々もハッピーでWIN-WINです。無駄を無くす効率化のために投資をする人が大勢いるのが理解できます。

 

私もこれまで効率化するのは正しいことだと思っていましたし、効率化するのにお金を使うことは生きたお金の使い方だと信じてきました。あらゆることを効率化させることで新しいイノベーションが生まれ、世の中が良くなっていくと思っていました。

 

ただ、この中には1つ見落としている視点があります。「自分は何がしたかったのか」という視点です。

 

私は畳が作るのが好きで、これまで畳職人を続けてきました。ものづくりの好きを言葉で言い表すのは難しいですが、没頭できるというか、何も考えず物に向き合えるのがものづくりの良いところです。しかし、ものづくりを完全効率化するということは、ものづくりの世界を消し去ることにも繋がります。

 

その時、職人のモチベーションは?どうなるのでしょうか。

 

今はまだボタンを押せば畳が出来る機械はこの世にありませんが、現段階でも生産ラインの中で超効率化された畳の機械ならもうすでに実用化され、多くの畳の会社に導入されています。3Dプリンターを使った畳作りが加速するのも遅かれ早かれです。いずれ職人という言葉は死語になるでしょう。それも近い将来に。

 

複雑化という視点

人間の人生において究極的な効率化は早く死ぬことです。どれだけ高度な文明を築こうが、どうせ人間という種は40億年後には滅ぶわけですから、効率的な生き方とはさっさとこの世からおさらばする事になります。それは産業も同じではないでしょうか。究極的に効率化された産業は無味乾燥な物サービスしか生み出さない。つまり事業としては死んでいるのと同じことです。

 

つまり私たちの人生にも、産業にも絶対的な意味も無意味もない。有るのは幸せと資本の増殖を目的とした活動だけです。幸せになるためにお金が欲しい。だから効率化する。それで済めば人間の思考は楽なものですが、残念なことに我々は、非効率で面倒なことに幸せを感じ、非生産的なことを必要とする生き物でもあります。

 

その為、効率化とは違う別の視点を考えなくてはならないと私は思います。その1つが複雑化です。

 

複雑化とは単純に畳を手で縫え!といったものではありません。機械はこれまで通り使えば良いし、効率的なシステムが開発されたら、それに変えることだって良しだと思います。

 

私の言っている複雑化とは、畳屋というビジネスモデルをもっと複雑化することを意味しています。畳屋はこれまでお客様から注文を頂き、畳を作って納品し、お金を貰っていました。これが畳屋のビジネスモデルで、多くの畳屋さんはこのビジネスモデルのみで事業をしてきました。

 

畳屋の複雑化は、新しいビジネスモデルを作るだけでなく、床素材としての畳商品だけではないものを生み出す事に繋がります。そういった複雑化は自分の為だけでなく、そこで働く職人や職人になりたいという若手を増やすことにも繋がると考えます。

 

私自身も今それを実験している最中です。このブログだって実験をマネタイズしている一つなのですから。何はともあれ私たちは効率化の中で複雑化するところを見つけ、モデルをアップデートしていかなければならない。それが職人の為になると私は思っています。

 

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最後に

資本主義のシステムの中では人間も道具の一部でしかありません。効率化するために人雇い、効率化するために人を解雇する。使い捨ての道具です。とはいえ、そうやって社会や会社は成長してきたし、今使っている便利な道具やサービスもそうやって生まれてきたわけですから、善し悪しといったところです。

 

ただそういう意味において資本主義では、誰もが消費される生き方しか選べないのだから自由意志の選択なんて存在しないのかもしれません。だとすれば、これから近い将来確実に「自分が何をしたいのか」「何がしたかったのか」わからなくなるクライシス状態の人が大勢出てきます。社会と会社に消費され、利益を生み出すための効率化からこぼれ落ちた人たちです。

 

とはいえ、それは仕方のないことです。資本主義を受け入れたその日からこうなる運命は決まっていたのですから。ただ、どんな環境でも踊れる人は踊れるものです。どこまで出来るかわかりませんが、私も畳職人としてもうちょっと頑張ってみようと思います。

 

読んで頂きありがとうございました。

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