みなさん。こんにちは!畳職人の樋口です。今回は旦那デスノートとカフカの「変身」からみる”愛とは何か”がテーマです。

 

本記事をご覧いただく前に、旦那デスノートとカフカの「変身」を一度見ていただくことをお勧めします。一応、記事内で旦那デスノートとカフカの「変身」の説明は致します。

 

▼旦那デスノートはこちらhttps://danna-shine.com/

 

▼カフカの「変身」はこちら↓

 


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今から読むのめんどくさいという方のために、簡単にはなりますが旦那デスノートとカフカの「変身」についてご紹介します。

 

旦那デスノートとは

 

皆さんは旦那デスノートをご存知ですか。

 

旦那デスノートとは旦那が浮気をした、旦那の金遣いが荒い、旦那が風俗通いしている、旦那が子供の世話をしない、旦那がマザコンなどなど旦那への恨み辛みを綴った掲示板のことです。

 

ただ旦那デスノートは結構、過激な掲示板で、旦那の悪口をちょっと書いてるレベルの話ではなく「頼むから死んでください」「早く死んでくれることを祈ってます」など辛辣な内容が書いてあります。

 

客観的にみて旦那が悪いのは認めますが、ちょっと言い過ぎな気もします。もし結婚してない男性が旦那デスノートを見たらきっと凹むことだろうなぁ・・・。それくらい旦那デスノートはハードパンチな掲示板なので閲覧注意です。

 

カフカの「変身」とは?

 

カフカの「変身」とは、主人公のグレゴールがある朝目を覚ますと毒虫になっていたというミステリアスな感じから始まる物語です。(カフカの変身における「毒虫」はどんな虫か解釈が分かれる。解説によるとムカデのような虫ではないかとも言われている)

 

愛する息子(グレゴール)が毒虫に変身したことで家族は戸惑い絶望します。父親はスティッキで攻撃。母親は悲痛の叫び声をあげて意気消沈。とはいえ、グレゴールは大切な息子であることに変わりはありません。元の姿に戻ってくれることを祈るのです。またグレゴール自身も家族だけが生きる支えでした。しかし、毒虫となったグレゴールは気持ち悪い。気色の悪い動き、迷惑な行動から大好きな妹に「これ」呼ばわりされ「(これ)放り出しちゃうのよ」と言われてしまいます。ただ、グレゴールも妹と同じ気持ち、いやもっと強い気持ちであった。家族との思い出を振り返りながら翌日、毒虫は部屋で死んでいました。家族は少しだけ泣いたが「過去は過去だ」とし解放感に満たされた3人は外にお出かけしにいく。とこの様な話です。

 

愛とは何か

 

「愛とは何か」この疑問に多くの小説家や学者、音楽家、スピリチュアルな人がそれぞれの見解を述べています。

 

例えば

 

私が理解していることのすべてを、私はそれを愛するがゆえに理解している。愛は生命そのもの。

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 小説家

 

愛とは他人の運命を自己の興味とすることである。他人の運命を傷つけることを畏れる心である。

 

愛とは、限りない寛容、些細なことから来る法悦、無意識な善意、完全な自己忘却である。

 

愛とは相手に変わることを要求せず、 相手をありのままに受け入れることだ。

 ディエゴ・ファブリ

 

愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。

太宰治

 

愛とは苦しみを通して他人と結びつくこと。美しいもの、魅力あるもの心ひかれることは容易い。たとえそれが魅力を失い、色あせたとしてしても守り通すことが大切なのだ

 

どの言葉も納得するのですが、個人的にはどこかシックリきません。「愛」を何か綺麗な言葉で包んでいる様な気がするのです。人間を美化してるというか・・・。

 

旦那デスノートとカフカの「変身」からみる愛とは何か?

 

では、私が考える愛とは何か。

 

それは先ほど紹介した旦那デスノートとカフカの「変身」の中にあります。先に結論から言ってしまえば、愛は状況に応じて変わるものだし、美しくて綺麗なものではない。愛とは虚構の中で膨れ上がった幻想だと思っています。

 

結婚する前、旦那デスノートを書くことになるなんて夢にも思っていなかった。愛溢れていた奥様が旦那との状況(環境)が変わると「旦那死ね」と思い、旦那デスノートに書き込みしてしまう。これはまるでカフカの「変身」そのものですよね。

 

最初、家族はグレゴールに対して愛は間違いなくあった。でも毒虫になると「いなくなってほしい」と思うようになってしまった。カフカの書いた世界と現実がまるっきり酷似しています。もしかしたら愛が状況によって変化するのは人間の性なのかもしれません。そして本当に醜いのは毒虫でなく、人間なのかもしれません。

 

「愛は変わらない」「愛は永遠だ」とか言うわりに、状況が変われば「愛」は一瞬で消えて無くなる。カフカの変身はそんな人間の醜さを伝えたかったのだと私は思っています。

 

そもそも愛と呼ばれるものはあるのでしょうか。

 

愛は全て虚構の中で膨れ上がった幻想。私は「愛」と呼ばれるものは”ない”と思っています。身も蓋もない話ですが、積み重ねた情が一瞬で消えるのは世の習いです。ビジネスの世界では日々当たり前のように行われています。つまり「信頼」も含めて全部虚構の中で膨れ上がった幻想なのです。

 

「愛」も同様に長い時間積み重ねて成長していくものですが、消え去る時は一瞬です。だから愛に固執してはいけない。愛という名の幻想が膨張すればするほど、後々の醜さも増大してしまう(アンチやストーカーになる)。

 

したがって愛を信じることは否定しませんが、何者かに「変身」してしまった事例は数え切れないほどあることをお忘れなくと伝えたいです。

 

愛は見つけることより、愛を探すプロセスに価値がある

 

皆、愛は見つけることが重要だと言う。

 

私はこの意見に賛成できない。もし、愛を見つけてしまった場合、その愛は永遠だろうか。ある出来事から不信感を抱き、「この愛は真実の愛なのか」と疑問に思うことはないだろうか。

 

繰り返し何度も言うが、愛なんか虚構なのだ。

 

虚構なのだから愛を見つける必要性など何処にもない。ただ、愛は人を強くするし、優しくする。それは間違いない。だから愛を探す行動(言動)は生きる上で最も価値が有ることは誰も否定できない。

 

大切なことは、一人の人を愛するにせよ、複数の人を愛するにせよ、「愛している」「変わらない愛を捧げる」ではなく、不確定な愛を探し続ける”愛の探求”こそ大切なのだと思う。

 

愛することは悪いことではない

 

愛することは悪いことか。

 

ここまで「愛する」ことを否定的に紹介してきました。とはいえ、矛盾するようですが、人を愛することは素敵なことだと思っています。人を好きになって、結婚して、人生を終える。何も悪いことはありません。

 

ただ、「愛(虚構の中で膨れ上がった幻想)」を信じ過ぎる、ひどく状況が変わってしまうから醜い人になってしまうのです。不条理な環境変化は例外として、ある程度のものは意識と努力で変身しないで済むのではと思っています。(もちろん男女ともに)

 

醜い人間にならないためにも「愛こそすべて」の考え方は捨てなきゃいけないのです。

最後に

 

いかがだったでしょう。

 

旦那デスノートとカフカの変身からみる「愛とは何か」をわかっていただけたでしょうか。

 

とんでも発言すれば、誰かと愛しあわず、自分の幻想の中だけで「愛」を作り出している方が幸せなのかもしれない。って思います。

 

やばい考えですかね(笑)

 

まぁ。それはそれでリアルを感じた時、寂しい気持ちに苛まれるでしょうが。

 

結局のところ、我々人間は、醜いまま生きて醜いまま死んでいくのがお似合いなのかもしれません。

 

読んでいただきありがとうございました。

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