職人の世界には「修業しなければいけない」といった風潮があります。親方のもとで同じ釜の飯を食べ、お店に住み込み、朝早くから夜遅くまで仕事を学ぶ。この手順を踏まないと立派な職人になれないといった風潮です。
安っぽい精神論が職人をダメにする
なぜそのような風潮が生まれたのか。
背景には職人が語る安っぽい精神論があると私は思います。精神は時として作品に大きな影響を与える。それは紛れもない事実です。しかし、精神は大切な人の死だったり、心を引き裂くようなセンセーショナルなことによって影響されるもので、トイレ掃除が作品に影響を与えることはありません。
精神は鍛えるものではなく、外的な要因から与えられること、そして技術の後から付いてくることが多い。だから精神論は先立って重要なことではないのです。誤解をされると嫌なので先に言いますが、私はトイレ掃除をしなくていい!と言うつもりはありません。ただ、トイレ掃除が大事だと言う前にもっと大切なことは技術、技能を学ぶことだ!ということを伝えたいのです。(ちなみにトイレ掃除は店舗には良い影響を与えますよ。それは来客がトイレ綺麗だと気持ちいいでしょ。でも、それと作品は関係ない)
最近テレビを見ていたら職人見習いの女の子に注目したドキュメンタリー番組を放送していた。修業先の会社では新人の女の子を走らせたり、職人の心得みたいなのを暗唱させたり精神を鍛える、学ぶことを重要視しさせていた。だが、釘の打ち方もインパクトの使い方も全然わかっていなかった。
これは親方が悪い。安っぽい精神論を掲げて、職人にとって何が大切なことか何もわかっていない。しかも女の子は坊主頭にさせられて、最後は会社をやめてしまった。
ほんと職人は野球選手と似ているなと思った。中途半端な人ほど精神論を語り、一流選手ほど技術を語る。
ここでイチロー選手の動画を引用するのはイチロー選手に迷惑かもしれないですけど。イチロー選手をはじめとした一流のプロ野球選手たちは精神より技術が大切なことをよく知っている。
精神なんてどんなに鍛えても弱っている時は弱い。鬱病の患者に気合いで治せ!って言って治るものですか。イップスの選手に頑張れって言って投げられるようになりますか。精神論はどうでもいいとは言いませんが、全然大事なことではないのです。
それがわからない職人が業界の貢献者として良い仕事を任されるから、周りが職人のお手本みたいな教え方だと誤解する。
野球の世界では精神より技術が大事だと語る人が多く、若い指導者の間では意識が変わってきたように感じます。職人の世界もこれから意識が変わっていくことを切に願っています。
修業したら優秀な職人になれるのか
「修業したら優秀な職人になれる」そう考えている時点でもう優秀な職人にはなれないと私は思います。何度も言っていますが、職人にとって大切なことは技術、技能です。修業したら優秀な職人になれるというのは修業というプロセスに甘えています。
実際、京都で修業した多くの職人のうち優秀だと思えなかった職人の方が多かった。それは修業すれば精神も鍛えられ、技術も習得できる。そう信じていたからです。
そんなわけないじゃないですか。休まず学校行けば東大入れますか?野球部入ればプロ野球選手になれますか?なれないでしょ。全ては自分の努力次第です。
どうやったら早く仕事が覚えられるか、どうやったら綺麗に畳を作れるか、日々考え努力するからこそ優秀な職人への道が開かれるのです。
立派な職人とは修業というプロセスを経て手順を踏んだ人間のことじゃない。誰よりも技能、技術を極めようと愚直に考え努力する人間のこと。それこそが立派な職人です。
今回はドキュメンタリー番組を見てすっごく頭にきて、ついつい言いたいことを言ってしまったけど、年寄りが若い芽を摘むのを恥ずかしいことだとわからないお爺ちゃん達に教えて差し上げられるのは、同じ職人しかいない。あの女の子が今何しているのか知らないけど、職人の世界に絶望せずこれからも頑張ってほしいと願っています。
読んでいただきありがとうございました。