プロ野球選手になれなくても

WBC優勝!本当におめでとうございます!若手ピッチャーの躍動のピッチング、村上選手の渾身の一打。最高の場面を挙げればキリがないですが、何度も何度も心揺さぶられました。

きっと彼らのプレーを見て野球を始める子、練習に熱が入る子、全力でプレーする子は増えると思います。今後の野球界に与えた影響力は計り知れないです。

残酷な現実

ただ、残酷なことを言ってしまえばどんなに努力してもプロになれるのは一握り、野球をやっていたほとんどの人間はプロにはなれず別の道に進まねばなりません。

私も小学校一年生から高校三年生の夏まで野球をしていました。甲子園にも行けず、プロにもなれず、結果を出すことはできませんでした。猛暑の中、滝のように流れる汗をユニホームで拭い、吐きそうになりながら練習したあの時間は報われなかったわけです。

ある時、中学時代の友達にこんなことを言われました。

「高校まで野球続けてて何の意味があったの?」

私は即答できなかった。それでプロになれたのなら意味のある時間であったと言えますが、プロにもなれず名も無い野球少年として幕を閉じた私の野球人生に意味などない。

12年という歳月を私は結果を出すことができず、無駄にしてしまった。と言っても間違いではない。

野球がくれたもの

野球人生は無駄だったのかもしれない。ただ、私の人生においては意味があったと断言できる。その1つが人との関わりです。

私は幼少の頃、一人遊びばかりをしてしまう子供だった。親が共働きで兄弟が姉ということもあり、遊ぶ相手がいませんでした。

小学生に上がっても友達と遊ばず、家で過ごすことがほとんどだった。だから野球を始めることになった時は家族は驚いた。そしてすごく喜んでいた。父親なんて毎週日曜日しゃしゃり出てきて知らない間にコーチになり、監督になっていた。

私は野球より仮面ライダーが見たい日もあったけど、野球のチームメイトと喋るのが楽しくて休まずに行っていた。小学校二年生、三年生と学年が上がる度にチームメイトが増えていき。違う学校はもちろん、同じ学校でも今まで喋ったことない子とも仲良くなって学校が終われば外で遊んだり、練習したりと過ごすことが増えた。

友達と遊ぶことが好きになったのです。

中学、高校になるとチームメイトといる時間の方が楽しくなり過ぎて、夜遊びを繰り返すようになってしまったが…。それでも引きこもりの一人ゲームやっている子より良かったのではないかと思っている。

幼少期の一人遊びについて

幼少期のひとり遊びは自発的なものなので想像力や思考力、論理力などの向上にも繋がると言われています。ただ、5歳くらいは協調性などを学び始める時期でもあるので、ひとり遊びばかりでなく人と関わって遊ぶことも大切なことらしいです。最近は幼稚園、保育園などで他子供達と遊ぶでしょうし、家ではひとり遊びばかりでもそこまで心配はないかもしれませんが。

もうひとつ、野球がくれたものがある。それは失敗した時にドンマイと言ってあげられること。

野球というスポーツは失敗がつきもの。誰しもエラーはするし、チャンスの場面で三振した経験は一度や二度じゃない。だから失敗を責めるようなことはしない。(練習の時は、けちょんけちょんに言うけど)

代わりの言葉として「ドンマイ」という言葉が使われる。これは社会に出てから人と信頼を築くのにとても重要な言葉になる。

社会に出ると失敗した人をオーバーキルしようとする人、人の失敗を喜び皆んなと共有しようとする人がいる。ネットの中は特にひどいが、会社の中にもそういう人は存在する。

もちろん職人の世界にも存在する。ミスした職人(後輩、従業員)に対して「お前もう仕事やめろよ」「お前がいると迷惑なんだよ」と。

その時に「ドンマイ」と肩をポンポンと軽く叩くことの大きさ。信頼はこういった行為の先にあるものだと教えてくれたのは野球でした。(今回のWBCでもそういった場面がありましたね。高校野球なんて見るとそんな場面の連続なので気になる方は見てみてください)

もちろん注意すべきことはしっかりと注意するのも大事なことです。仕事でのミスは会社の損失ですから責任が伴うわけです。怠けた仕事であれば緊張感を与えるためにしっかりと注意するのも必要なこと。ただ、信頼関係を築けていない状態での注意はモラハラになる可能性があります。

普段、会話もしないのに仕事でミスした時だけ捲し立てるように怒る。これでは部下は上司に対して嫌な感情しか生まれません。

普段からコミュニケーションをしっかりと交わし、ミスをした時にはまず「ドンマイ」と肩を軽く叩き、自分と相手の気持ちが落ち着いてから悪かったことを注意する。

野球をやっていなかったら自分にはわからなかったことだと思います。

野球をやったことへの後悔

もし過去に戻れるなら野球をまたやるか。プロ野球選手になれるのであれば「YES」と答える人は多いでしょう。でも、自分が名も無い野球少年として終わることがわかっていて、辛い練習を乗り越えないといけないのであれば、「NO」と答える人も多いのではないでしょうか。

では、私は?というと。もし残酷な結末が待っているとしても「YES」と答える。

理由は、生きていて特別な時間はそうはないからです。30年間生きていますが、特別な時間のほとんどは野球をしている時に見た景色でした。大事な場面でヒットを打った瞬間、ファインプレーをした時、最後の大会でのセカンドゴロ。たまに今でも夢に出てくる。

これから先、特別な時間を作れる機会もあるかもしれませんが、最高な仲間と野球ができたことこれを超える感動はきっとないだろうと思います。

プロ野球選手になれなくても

努力すれば報われるは嘘、努力したって何したって上手くいかないことはある。たくさんノックを受けてもエラーはするし、毎日素振りしたって必ずヒットが打てるわけじゃない。

それでも練習し続ける。遊びたいのを我慢して、寝たいのを我慢して、ゲームしたいのを我慢して、ずっとバットを振り続ける。

だからこそ見えた景色もあった。青春時代を野球というスポーツに注ぎ込んだこと、最高な仲間と野球ができたこと、今でも本当に良かったと思っている。

これから野球を始める子も、今野球をやっている子もきっと思うようにいかないことがあると思う。たくさん練習したのにプロ野球選手になれないかもしれない。

それでも無駄だった時間ではない。そう思わないためにも全力で白球を追っかけてほしいです。

最後

もちろん辛かったらやめてしまってもいい。時間の無駄だと思うのならそれも選択の1つです。野球だけが全てじゃないし、楽しいと思うことに時間を使ってほしい。

高校生ぐらいじゃあまり経験ないかもしれないですが、30歳になると友達が死んでいきます。自分の周りでも同じクラスメイトがもう三人も亡くなっている。「もしかしたら明日死ぬかも」なんてのが頭をよぎるようになるんです。

これから年を重ねる度にもっともっと死んでいく。そして自分の番・・・。だから後悔したくない。後悔しないように生きようと思えるのです。

皆さんも後悔だけはしないように。祈っています。

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