書くことは生きることではない。生き延びることなのだ。書くことは、予期せぬ再生と、生き延びた者の欲望による要請である。とグルヴィルは明言している。死の可能性が身近に感じられた時点から、書く行為はすべて、死の彼方へと時間が拡張する忘我=脱自の行為なのだ、とモンテーニュはさらに深い言葉で断言した。
落馬する人々 パスカル・キニャール 水声社
この世界の片隅に、二階堂奥歯という女性がいた。鋭敏な感性と常に拮抗する二つの思想、戦慄を覚える文章。優れた哲学者であり、天才的な文筆家であった(本業は編集者)。
二階堂奥歯の名を世に知らしめたのは、彼女が投稿していた『八本脚の蝶』というブログである。書評からコスメ、セクシャルな話まで様々な話題を投稿していた。
二階堂奥歯という女性がどんな人間なのか、無論会ったこともないが、このブログを読めば彼女がどんな本を好み、何を想い、何を考え、生きてきたのかわかる。私は夢中になって読んだ。時間が経つのを忘れて、自分の存在さえも忘れて頁をめくった。
あなたの書における私の頁は、あとどれくらいですか?あなたはご存じなのでしょうね。
私には、自分のことなのに、わからないのです。
何頁も何頁も続くのか、それともあと何行かでおしまいなのか、見当もつかないのです。
あなたはご存じなのでしょう。その結末も。
私にはわかりません。本当に。八本脚の蝶 2003年4月19日(土)
2003年4月26日、八本脚の蝶は結末を迎えた。二階堂奥歯は親しい方への別れの言葉をブログに残し、まだ朝を迎える前に飛び降りた。享年25歳であった。
私は彼女の残したブログを一度閉じ、また最初から読み始めた。2001年6月26日のブログ、彼女はジーンウルフ『デス博士の島その他の物語』からこんな一節を引用していた。
きみは本をつきつける。「この本は読みたくないよ。博士はきっと最後に死んでしまうんだもん」
「私を失いたくないか?泣かせるね」
「最後に死ぬんでしょう、ねえ?あなたは火の中で焼け死んで、ランサム船長はタラーを残して行ってしまうんだ」
デス博士は微笑する。「だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ。ゴロも、獣人も」
「ほんと?」
「ほんとだとも」彼は立ちあがり、きみの髪をもみくしゃにする。「きみだってそうなんだ、タッキー。まだ小さいから理解できないかもしれないが、きみだって同じなんだよ」ジーンウルフ『デス博士の島その他の物語』
ブログを最後の頁まで読めば、二階堂奥歯は死ぬ。それでもブログを最初の頁に戻せば、また彼女と会える。何度でも、何度でも死と再生を繰り返す。二階堂奥歯の終わらない円環は約束された。
ブログを書くということは、生き延びるなのだろうか。死と再生を繰り返すことなのだろうか。少なくとも私のブログは違う。私のブログは畳を伝える、それだけだ。
ただし、死が身近に感じられた時、私はまた違ったブログを書くかもしれない。それはまだわからない。どんな始まりになるのか、どんな結末を迎えるのか。私も知らない。
最後に
2021年4月26日、二階堂奥歯さんが亡くなって没後18年を迎える。ブログは今もなお閉鎖されていない。誰でも閲覧可能なので、ぜひ読んでほしい。
読んでいただきありがとうございました。