職人の弟子入りに向かない人とは?|修行によって得られる3つのこと

こんにちは!畳職人の樋口です。今回は修行によって得られる3つのことを紹介します

昨今、修行に対して否定的な意見が相次いでいるのはご存知ですか?

 

「長い年数を下積みだけに費やす若者が可哀想だ」「修行は時間の無駄。起業した方が学びになる」「下積みをさせるのは、すぐにお店を開かせたくない修行先の思惑だ」などなど色々な批判があります。

 

修行した立場から言えば、至極真っ当な意見だと思います。

 

反論も全くありません。

 

1つだけあるとすれば、このような発言を外部の方にさせるのではなく、それぞれを総括する立場の人間が発言すべきことだったと思います。

 

それなら修行したことを後悔してる?

 

私は約4年間修行しました。(実質6年)

 

飯炊き三年、握り八年に比べたら少ない方だが、大学と同じ年数と考えるとそれなりの時間を費やしているのは間違いありません。

 

では、そんな長い年数を修行に費やしたことを後悔しているのか?というと、これが全く後悔していない!

 

矛盾しているように感じるかも知れませんが、先ほどの批判が「修行」に対する全ての真実ではないからです。

 

では、私が修行によって得たものは一体何なのか、職人の弟子入りに向かない人とは?紹介したいと思います。

修行によって得られる3つのこと
・修行によって得られる言葉の重み
・修行した入れるコミュニティ
・修行したお店がバックについてくれる

修行によって得られる3つのこと

職人の修行で得られることは3つじゃー。1つ目は修行で得られる言葉の重み。2つ目は修行したから入れるコミュニティ。3つ目は修行したお店がバックについてくれるのじゃー。

 

①修行によって得られる言葉の重み

畳の仕事は、畳の依頼を受け、施工し、お客様の元へ運び、納めるまでが仕事。お客様と我々は信頼関係でビジネスが出来上がっていると言っても過言ではありません。

 

とはいえ、私はまだ若いです。(1992年生まれ)

 

職人の世界では若ければ若い人ほど不安がられ、お客様から「大丈夫?」なんて心配されることだってあります。私が「信頼して下さい!大丈夫ですから!」と意気揚々に言ったところで実績なき言葉は軽い。誰も信頼など寄せてはくれないだろうと思います。

 

でも「京都の黄綬褒章と現代の名工を受賞したお店で修行した」「修行時代、宮内庁の仕事を請け負っていた」「京都畳競技会で優勝した」の言葉を聞くとお客様は安心されます。※最近では本物の職人として工務店や不動産会社の相談を受けるようにもなった。

 

過去の経験が実績になって認められたのだと思います。

 

私が畳について語れば「若いのに畳の事をよく勉強されている」と、今までマイナスイメージだった若さがプラスイメージに変化します。修行した経験は、言葉に重みをもたせ、お客様との信頼関係構築に一役買ってくれるのは間違いないのです。

 

「でもそれって畳職人の話でしょ!」と思われるかもしれないが、これは私だけの話ではないと思います。

 

職人の仕事は基本的にどれも同じ。信頼で成り立つ商売であり、お客様との信頼関係をどう構築するか非常に重要なところだと思います。

 

であれば、修行によって得られる信頼関係を軽視することは勿体無いと言わざる終えません。

 

②修行した入れるコミュニティ

私たち畳職人には畳職人同士の繋がり「コミュニティ」が存在します

 

そこでは内輪だけで話される有益な情報、仕事の紹介も行われます。入っていて損するコミュニティでは絶対にありません(ただ飲み会も多いし、無駄に話が長いお爺様方のお話を聞かなくてはいけないのは癪だが・・・。)

 

しかし、残念なことに大概そういったコミュニティは、修行した方しか入れないようになっています。(厳密に言えば、先生や修行した兄弟子からの紹介だったりするので存在自体知られていない可能性もある。「情報を外部に漏らしたくない!」は一子相伝の頃の名残なのでしょうか)

 

とはいえ、本音を言えばそういう内輪だけのコミュニティはあんまり好ましくないと私は考えています。情報化社会で育ったミレニアル世代の私には、その価値観は理解出来ないからです。

 

情報革命と言われ情報が社会の構造を変化させるこの時代に、内輪だけで情報を交換したって業界がよくなるわけがない。そんな昔ながらの保守的な考えの人たちより、関係ないところから突っ込んで来て業界を革新させようという革命家の方が面白い情報を有しているように思えます。

 

しかし、業界はそう言った人間を排除しようとする。まさに馴れ合いの文化の悪習とも言える。畳業界はこういった状態から脱皮して新しいコミュニティを作っていかないとならないと思います。

 

その為には個人が色々な人と会って色々なコミュニティに所属することが重要だと考えます。

 

③修行したお店がバックについてくれる

修行して一番のメリットは普通だったら入ってこない材料を安い価格で取引できることです。畳の材料「畳表(天然国産い草)」は年々下降傾向にあるのはご存知の通りかと思います。

 

原因は畳需要の低下と中国産い草の台頭、農家さんの高齢化です。

 

これにより畳表の生産数は大幅に減少しています。そうなると、もの凄く綺麗な畳表はいつも買ってくれる限られた畳屋さんにだけ運ばれる仕組みになってしまいます。

 

「商い」で考えたらそりゃそうですよね。”いつもたくさん買ってくれる御贔屓な畳屋さんに良い畳表を卸す”商売としては至極当然のことです。

 

本来であれば私みたいな新規参入の若者に綺麗な畳表なんて卸すわけがないんです。(もし卸すとなっても高額になる)新参者で信頼もない、実績(請け負った工事)もなければ、購入も少ない。絶対にありえませんよね(笑)

 

でも私のところには良い畳表も良い床も特殊な材料も全て入ってきます。何もメチャクチャ交渉上手で交渉して手に入れたわけでもありませんし、裏金を払ったわけでもありません。

 

修行したお店の社長が材料屋に「この子にも分けてやってや」と言ってくださっただけです。良質な畳表は他店にない強みになるし、交渉に余計な時間を使わないで済むので助かる。

 

さらに支払いも2ヶ月後とかでいいので本当に有難い(畳業界では初めて取引する場合、即金が当たり前。)

 

これらのことは修行先のお店次第だが、長く修行し、腕が認められたら?かはわからないですが、素晴らしいメリットであるのは間違いありません。

職人の弟子入りに向かない人とは?

人生の選択というものは「何を大事にしたいか」で大きく変わっていきます。

 

例えば、世界で畳を売りたい!そんなことを考えている人は修行するより、海外に出て畳を売ってみる方が勉強になるだろうし、マンションの受注を沢山とり大量生産で畳を作って販売したい!と思っている人なら修行するより不動産会社に売り込んでみた方がきっとスピーディーだろうと思います。

 

今回紹介した「修行で得られる3つのこと」は、それら事業にメリットとして当てはまらないのは明白です。つまり、職人の弟子入りに向かない人とは修行によって得られる3つのことを必要としない事業をする人となります。

 

世界で畳を売りたい!大量生産で安く畳を販売したい!のであるなら修行はせずに畳事業をスタートさせる方が優先順位は間違いなく先です。やってみた方がずっと学びになると思います。

 

でも例えば、私みたいに畳を作ることが好きで好きでしょうがない。多くの人が思っている畳に対するイメージを変えていきたい。という目標?夢?を持っている人は修行したっていいと思います。これは自分を正当化させているのではなく、道を選択する時に自分が何を大事にしたいのか考える必要があるのです。

 

SNSを見ていると頭の良い有名人が言ったからその通り生きようとする若者がたくさん見受けらます。それも人生の選択の1つですが、自分の人生くらい自分で考えて決めた方が絶対にいいと思います。

 

確かに自分で考えるのはしんどいです。生き方を教えてもらう方が全然楽でいい。現在まで宗教が残っているのもそう言った迷いびとがいるからでしょう。

 

でもネットの中の教祖様はあなたが困った時に助けてなんてくれませんよ。言いっ放しで終わりです。自分で考え、自分で決断し、失敗し、また進む。起業してよくわかったのは失敗を繰り返すことでしか、前には進んで行かないということです。

 

もし自分の信じた道を進んで間違ってると思ったら戻ればいい。

 

本当に大事なのは「何をしてきたか」の過去プロセス話ではなく「何をしたいのか」「お客様に何を提供したいのか」「何を大事にしたいか」未来志向の気持ちだと私は思います。

 

これから職人の修行を考えている方には是非とも一度自分自身に問いかけて欲しいと思います。

 

以上です。

最後に

 

いかがだったでしょう。

 

職人の修行について理解が深まりましたか。

 

今回の記事をまとめれば、修行して得られるメリットは確かにある。が、全員にあてはまるメリットではない為、自分のやりたいスタイルを考えたうえで行動する必要がある。

 

または先に行動してしまって、違うな!と思えば方向転換をする。

 

こんなところかと思います。

 

読んでいただきありがとうございました。

おすすめの記事