
こんにちは!畳職人の樋口です!
畳の上でゴロンとすると気持ちいいですよね。
人間だけじゃなくてうちの猫も気持ち良さそうに寝てますが😻ニャー
実は畳がリラックスするのは科学的根拠があります。
そう、畳はただ和室に敷いてあるだけの敷物ではないのです。
ではでは、畳とは一体何のか!畳の歴史を辿れば全てがわかる!これからの未来で畳は生き残るのか!について書いていこうと思います。
・畳の歴史
・茶道と畳
・これからの畳はどこへ?
目次
畳の効果とは?
畳とは日本固有の敷物で、藁床にい草を編んで作った畳表を巻きつけたもの。
「畳とは何だ?」と聞かれても、生活の一部に溶け込み過ぎて普段意識もしないですよね。
それに残念なことで、最近は和室も減ってきました。もしかしたら若い人は畳の存在自体知らないのでは(・Д・)って思うこともあります。
この前「お前が畳職人になってから畳屋とか畳の存在を知った」って友達に言われました。心境としては複雑ですよね(笑)
それまで存在も知らなかったんかい!!!って。もちろん言われて嬉しいけど。。。(//∇//)
確かに意識することは少ないでしょうが、畳は知らず知らずの内に体と心に良い影響を与えています。
畳の材料である『い草』は抗菌作用があることが北九州市立大学森田教授の研究でわかりました。
イグサは腸管出血性大腸菌O157 ,サルモネラ菌,黄色ブドウ球菌などの食中毒細菌,バチルス菌,ミクロコッカス菌などの腐敗細菌に対して抗菌作用のあることが明らかとなっています。
〜中略〜
最近の研究では肺炎の原因となるレジオネラ菌に対しても抗菌作用が認められました。このような事実からも畳は天然の抗菌素材といえます。 ー北九州市立大学
畳は足の匂いを軽減する?
また畳(い草)は足の匂い軽減にも効果が期待できる可能性があります!
私たちの大学では足から,この微生物を取り出し,わずか2% のイグサの抽出液を加えたところ,微生物群の増殖を抑える作用について発見しました
畳は頭が良くなる?
それ以外にも畳(い草)の香りにはリラックス効果があることが研究でわかっています。
紅茶に主に含まれるとされるジヒドロアクチニジオリド、バニラに含まれるとされるバニリン、森林浴などで放出されるフィトンという物質が畳(い草)には含まれています。
畳のリラックス効果は勉強にも良い影響を与えるようです。
北九州市立大学の森田教授によればフローリングで勉強するより畳の上で勉強した方が集中力が高まるというのです。
ある塾で小中学生を対象に、勉強部屋に畳を敷いて、計算問題を時間内にできる限り解いてもらう実験を行ったところ、解答数が全体で14.4%も伸びました。これは、い草のもつリラックス効果と吸音性による集中力の持続効果が要因だと考えられます
受験生必見ですね!!!神頼みよりは確実に効果が期待できますよ!!!
そういえば昔の寺子屋なんかも畳が敷き詰められていましたね。
江戸時代はあまり椅子を使っていなかったようですから、板の間の上での勉強は足が痛くて集中できなかったはず。
その分、畳は適度に柔らかい物ですから座っていてもフローリングと違ってお尻が痛くなったりしないんですよ。
もしかしたら科学的に立証されていなくても昔の人は「畳の上で勉強すると集中できる」とわかっていたのかも知れませんね。
畳は自然の空気清浄機?
さらに畳(い草)は吸着能、吸水性に優れているため、ホルムアルデヒドやタバコの匂いなどの有害物質を吸着してくれます。
さらにさらに、畳(い草)は自然物のため、加湿、除湿を自動で行ってくれる空気清浄機能も併せ持ちます。
ただ、逆もまた然りで、湿気が多ければ多いほど吸いまくってくれるのですが、湿気を吸いすぎた畳を乾燥せず窓を閉めっぱなしにしていたらカビが生えてきます。
湿気の多い地域(家の近くに川が流れている、海の近く、山の上、都会のマンションに囲まれ陽が当たらない、風通しが悪い)などの場所はよく換気をするように気をつけてください。
▼い草についてはこちら:有名ない草の生産地はどこ?|国産い草の機能と現状について解説
以上から畳は日本人の生活に適した敷物であり、我々の健康に一役かってる有能な物体だということがわかっていただけたと思います。
ではそんな畳がいつ頃登場したのか、畳の歴史について紹介していこうと思います。
日本固有の文化である畳について紹介
畳について興味ない人にもこれだけは伝えたい!!!畳の歴史、めちゃくちゃ長いよ!!!って。
あと畳は日本固有の伝統文化で朝鮮半島から伝わったわけでも、中国から伝わったわけでもありません。
ただ、『い草』はインドからシルクロードにのって中国から伝わったのではないかと言われています。
▼畳の歴史はこちら:【歴史】畳が広まった理由は茶道?|日本史&畳年表でみる畳の歴史
畳は格式を表す敷物
畳の始まりは今から約1300年ぐらい前、天皇陛下や皇族、王族、貴族などが使っていたとされます。
畳については712年頃に編纂された古事記にも『菅畳八重・皮畳八重』と記述があり、もしかしたらもっと古くから使っていたのかも知れません(笑)
正直いつ頃生まれたのか正確な年代は畳職人だって、学者だってわからない。それくらい長〜い歴史があります。
現存する日本最古の畳は、奈良県の東大寺正倉院にある御床畳(ゴショウノタタミ)です。
これはマゴモを4〜6枚くらい重ね、織った『い草』を巻きつけ錦の縁を付けたものです。この御床畳(ゴショウノタタミ)は聖武天皇が使ったとされ、今も大事に保管されています。
御床畳(ゴショウノタタミ)をはじめ昔の『畳』というのは高貴な方の寝床として使われていました。その際、畳の縁には格式を表す紋縁が使われ、位の高さや格式の高い建物(総本山・神宮・大社)に相応しい紋縁が使用されていました。

繧繝(うんげん)縁
これは繧繝(うんげん)縁を使った厚畳で上皇や天皇陛下が使える最も位の高い縁となります。
京都御所などで見うけられるのでお近くにお寄りの際はご覧になってみてください。
※写真の厚畳は本式ではなく略式です。京都御所はじめ宮内庁関連とは全く関係の無い場所に納品しました。
このように平安時代より前から畳は日本に存在し、格式を表す敷物として高貴な人達に使われていました。
そんな高貴な人たちの為の敷物がなぜ一般人に急速に普及したのか、それは安土桃山時代に広がった”ある文化”と関係してきます。でもその前に少し話はそれますが、畳の歴史を語る上で上敷きに触れなくてはいけません。
テーマからは脱線しますので興味ない方は飛ばしてください。
上敷きと畳は別物
こんなの当たり前に知ってるよ!!!っていう人は飛ばしてください。でもこの前テレビで歴史を勉強する学者さんが間違っていたんですよね。(※畳と上敷きを一緒の物としてたんです)
上敷きは板の間や畳の上に敷く『い草』を編んで作ったゴザ
畳は藁床(建材床、マゴモを重ねる)に『い草』を編んで作った畳表を張り付け、縁を付けた床材
私は先ほど「畳は日本固有の伝統文化」と記しましたが、上敷きは違います。
『い草』を編み込んで作った上敷きは日本以外の国でも使われていて歴史ももしかしたらインドやカンボジア、フィリピン(主に東南アジア)の方が古いかも知れません。
「い草」はインドが発祥なので日本の方が遅れてやって来たと考えるのが一般的な通説です。
▼畳マットについてはこちら:畳マットは赤ちゃんに優しいのか?|安くてオススメな畳マットを紹介
と言うわけで本題に戻りたいと思います。
茶道と畳
安土桃山時代から江戸時代にかけて畳が一般家庭に急速に普及していきます。その理由は実に簡単で、畳を敷いた茶道が一般家庭に普及したからです。
室町時代は茶道の面影もなく、高貴な者たちが自分の茶碗自慢をしたり、闘茶と言って飲んだ茶の銘柄をあてる博打として親しまれていました。
それを正したのが茶道の祖、村田珠光(むらたじゅこう)です。村田珠光は茶会での博打、飲酒を禁止し、茶の精神を正しました。それが侘び茶(茶の湯の一様式)の源流となります。
その村田珠光の想いを受け継ぎ、侘び茶を完成させたのが皆様ご存知の千利休になります。この千利休が茶室に畳を敷いた茶道を広めたことにより畳も一般家庭に広まっていきます。

ウェキペディアより引用
お茶室の畳は技術がいる
畳は技術職!なんて言われますが、特に技術を必要とする1つがお茶室の畳です。
僕がはじめてお茶室の仕事を任された時は緊張して手が震えたほどです。一帖何万円もしますから失敗はできない。一番恐れたのが畳の目でした。
お茶を習ってる人でないと畳の目?と言われてわからないと思いますが、コレ!めちゃくちゃ大事なんです。お茶では畳の目によって道具の置く位置などが決まります。もし、畳の目がズレてたら大変なことになってしまいます。
わかりにくかったらすいません(笑)
畳の目にのると言うのは畳の目の山(盛り上がってる場所)から谷(窪んでる場所)に降りた丁度のところに縁の折れ目が来ることをさします。
それは例えば、谷が見えてしまえばダメですし、山に被ってしまってもダメ(お茶室の枕は別)です。なので細心の注意が必要となります。
技術的な事はコレだけでは無いのですが、これ以上は専門的な事になって意味がわからないと思うので省きます。詳しく知りたい方は畳を変えた時、畳屋さんに聞いてみてください。
畳の位置付け
江戸時代に入るとお茶室が一般に普及した事により畳が増え、職人としての地位も確立していく事になります。増えた畳、江戸城内の畳の管理、工事請負などのため畳奉行ができます。
畳は贈り物としてもとても喜ばれる品で外様大名の福島正則は徳川家康に媚びろう?と備後(その時代の一大生産地)の畳表を献上したそうです。きっと徳川家康もご満悦だったのではないかなと思います。
関西と関東の違い
それから江戸の町は急速に発展していくわけですが、それに合わせて大量の畳を作る人材が必要になります。しかし、まだ江戸の町は発展途上、人材を確保できるほど余裕がありません。そこで畳を作る製造方法に変化を加えます。
作業工程を簡略化しました。と言うと関東の畳職人が怒りそう(笑)なので、無駄な手間を省いて効率化を図ったとします。でも今度は関西の畳職人に無駄な手間とはなんだ!!!o(`ω´ )oと怒られそうですが・・・・
つまりは畳を大量に作るために作業工程を変えたのですが、未だに競技会、グランプリなどで「この作り方はダメだ」と双方から議論を呼んでいます。技術的な事に関してはどっちも誇り持ちたい気持ちなんでしょう。あ、良い意味ですよ(笑)
このように畳は進化し、一般人の皆様にも愛される敷物になりました。それから江戸時代が終わり、明治、大正、昭和と時代が変わっても畳は日本建築の一部として日本人に親しまれてきました。
ですが・・・平成を迎えると畳は急激に減少していくことになります。
これからのたたみ
平成に入ると急激に畳が減少していきます(T ^ T)
畳の材料である『い草』を作る農家さんの推移を見ると恐ろしいと感じるほど。
平成元年までは8578(戸)あった農家さんが平成28年には522(戸)まで減少している。およそ28年間で約1/16になり、現在も減り続けている。
※参考資料 農林水産統計
日本の『い草農家』が減少した原因はいくつか考えられる。
畳の需要の低下
和紙、化学表の台頭
中国産い草の台頭
新築の注文住宅の減少
農家さんの後継者問題
とても残念なことにこれら問題はもう進んでしまい、あと戻しが効かない状態になってしまっている。つまり畳業界は一寸先は闇。暗闇の中を走っていく感じです。
ただ悲観ばかりではなく、新しいことに目を向けて頑張っている畳屋さん、農家さん、メーカーさんたちもいます。その一部を紹介したいと思います。
畳のモダン乱敷き
引用 YouTube
伝統的な畳の敷き方を一新し、カラフルな和紙の表をつけたユニークな畳。これだけ色彩鮮やかだと、もはや畳?ってなりますね。
一般住宅だけでなく店舗や公共施設などでも使われていけば嬉しいなと思います。
多様な形の畳
YouTube 引用
光の反射を利用して様々な表情を見せる畳。
見る角度によって違う見え方をするので飽きがこない。とても革新的。でも畳本来の香りだったり手触りだったりはそのまま残している素晴らしいものだなと思いました。
日本畳楽器製造
京都にある西脇畳敷物店の5代目店主の西脇一博さんがリーダーを務め、畳業界を盛り上げるために結成した畳バンド。愉快な音楽と畳に関する豊富な知識に魅了される。テレビやラジオ、新聞にも取り上げられるほど知名度も高く、畳業界外の知り合いも多い。
西脇一博さんのお父さんである西脇方彦さんは京都で大変お世話になった先生で東京に帰った今も色々相談乗ってもらってます(笑)
▼新しい畳についてはこちら:新しい畳のカタチって何?|未来の畳が変える和の空間
最後に
いかがだったでしょう。
畳についてわかってもらえましたか?
この記事を書いてて思ったこと。
畳の歴史はたくさんかけるのにこれからについてはあまり書けない。無知だから・・・?それもあると思いますが、現在の現状を悲観的に見てるからかもしれません。それは私だけじゃなく業界全体的に。
唯一の救いはAIやロボットによって可能性が広がるということ。これから先の畳という形がどう変わるかはわかりませんが、未来は明るいと思います。
私も貢献していきたいと思っています。
読んでいただきありがとうございました。