いつもブログを読んでくださってありがとうございます。樋口畳商店の樋口です。梅雨が明け、いよいよ夏ですね。蝉の声はまだ聞こえませんが、そろそろ土から姿を現し夏の到来を知らせてくれることでしょう。
そんな蟬時雨の季節は、私が生まれた季節でもあります。
迎えること今年で30歳。20歳から思えばあっという間の10年間でした。今回のブログ記事は私の20代を振り返りつつ、30代の目標?をお伝えしたいと思います。
20代を振り返って
私の20代前半は自信に満ち溢れていた。京都畳競技会では優勝し、数々の難しい仕事をこなしてきた。私は自分ができる人間だと思った。畳を作るのはもちろん、人付き合いも営業におけるアイデアもたくさんあった。
だから東京に帰って独立したら、職人としても経営者としても大成できる。そう信じていた。
これがいかに空虚な自信だったことか。
独立してすぐに現実を知った。自分が畳を作れたのは修行先のお店の設備があったからで自分の技術力が高いわけではなかった。人付き合いが上手に見えたのは、修行先のお店と協力会社の間で確固たる信頼関係が出来上がっていたからで自分のコミュニケーションが上手なわけではなかった。
私は大したことなかったのだ。
現実を知った時、私は悔しくて、悔しくて。布団の中で泣いてしまった。
それから考えた。どうしたらあの頃のように畳を作ることができるだろうか。どうやったら人と信頼関係を築くことができるだろうか。
アイデアを書き直し、何度も省スペースの工場で実験した。お金にならない畳の仕事もしたし、時間を無駄にするようなこともたくさんあった。それでも少しずつ前に進んでいるような気がした。
畳製作もスポーツと同じで練習したからといって、すぐに結果がでるものではない。長い日々の積み重ねから、ある時を境に急激に成長する。
気がつけば、あんなに苦労した六畳の表替えが余力を残して仕上げることができるようになった。
人付き合いは人が求める声なき声を聞くことから始めた。畳製作の際に出るゴミ処分を代行すること、女性との付き合いがない職人の方にコンパを開いて差し上げること、麻雀で負けている人に振り込んであげること。
信頼関係を築けるよう色々した。なかには変な経営者、嘘つきの営業マン、詐欺師など会いたくない人にも会わざるおえなかったり、手順を間違えて失敗したこともたくさんあったが、礼節を持って接すれば大抵のことは許してくれた。
東京は悪い人も多ければ、優しい良い人も多い。それがよくわかった。
そんなこんなで20代後半を迎えるとお呼びでないコロナがやってきた。コロナは人間の命を奪うだけでなく、世界を混沌とさせた。
もちろん畳業界にも大きなダメージを与えた。新築リフォームの激減に伴い、畳替え工事も激減。通帳から日々諭吉くんが消えていった。
ただ、リモートワークが増えたことで置き畳の注文が増えた。
どうやら畳は寝たり、座ったり、立ったり姿勢を変えることができるので、長時間作業しなければならない方にとって便利な敷物らしい。
とはいえ、置き畳についての不満も多かった。なかでも置き畳は薄く軽いからズレてしまう。ズレないように何とかならないか。といったものだ。
そこで樋口畳商店では置き畳を縫い合わせ、折り畳めるように改良した。
これならズレないし、掃除をする際も折りたたんで動かせるので衛生的。
インスタやこのブログ、ネットで紹介したところすぐ注文が入った。
※こちらはある保育施設に納品した折りたためる置き畳。国産畳表に千鳥格子の畳縁を付けました。
樋口畳商店では、さらに縁なしの折りたためる置き畳も開発。
縫い目が見えないように持っている技能と技術を結集して作った。
▼折りたためる置き畳についてはこちら:【折りたためる置き畳】国産麻綿Wくまモン畳縁の置き畳15㎜タイプ
他にも壁に貼り付けるタイプの畳
壁に飾るタイプの畳
壁にかけて時計として飾るタイプの畳
このような壁畳も作ることができた。
20代最後の年にこれからの指針になるような畳製作ができたことは本当によかったことだと思う。また、それを可能とする技術、技能を教えてくれた株式会社沢辺畳店と京都の先生方には本当に感謝している。
30歳になって
20代中盤で叩き折られた自信は少しずつ取り戻している。
「本当に素晴らしい技術」そう言ってもらえると、どんどん力が湧いてくる。今、原動力となっているのは間違いなくお客様からの喜びの声だ。
私はさらに上へ行くためにもっと難易度が高い畳に挑戦している。(近日中にインスタやグーグルマイビジネスに投稿する予定なのでフォローお願いします)
また樋口畳商店は障子と網戸の張り替えを2022年4月にスタートさせた。(現在、襖は業者様だけとなっています。私一人しかいないので対応できないのが理由です。とはいえ個人様も襖のお見積もり&ご紹介はさせていただきます。紹介料や仲介手数料なども一切いただきませんので安心してご相談ください)
今後は和室の内装を全て請け負い、世界に誇る和む空間を創造できたらと考えています。
日本だけでなく世界中のお客様に喜んでいただけるよう30代はもっと努力して参りますので宜しくお願い致します。
以上、20代を振り返って。でした。
最後に
思い描いていた30歳とは違う。
京都で修行していた頃、30歳の自分が活躍するビジョンが見えていた。充実した人生を歩んでいる姿が見えていた。
しかし、残念なことに思い通りにはならなかった。コロナだけの問題じゃない。自分の非力だと私は確信している。
30歳になって、次は40歳。今度は思い描いていた以上に躍進できるようもっと頑張ろうと思う。
読んでいただきありがとうございました。